自治体職員の読書ノート

自治体職員。仕事は福祉系。読書は雑食系。

【2588冊目】河合隼雄・村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』


刊行は1996年。対談の時期は1995年あたりなので、阪神淡路大震災オウム真理教の事件などが起きた頃だ。直接そのことに触れた箇所は少ないが、今読むと、全体を通して事件の「余震」のようなものが感じられる。


また、村上春樹の作品で言えば『ねじまき鳥クロニクル』が出たあとという、作家としての大きなターニングポイントに差し掛かったところでの対談となったわけで、後から考えればタイミングとしては絶妙だった。


この後、村上春樹は『アンダーグラウンド』ではじめてインタビューを元にしたノンフィクションに挑戦するのだが、本書にはそうした変化の予兆というか、胎動みたいなものが脈打っている。


「壁抜け」の話が面白かった。「壁抜け」とは『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる一種のワープ現象とのことだが、著者は、そのことを自身の執筆活動と重ねている。物語を書く中では、どこかで「壁抜け」、あるいは「井戸の底にある黄泉の国に入っていく」ようなことが必要になる。その際には、「力」がないとできないのだという。


これに対して河合隼雄は、頭で考えただけの話は「つくりばなし」になってしまうと答える。「体が入っていない」そういう話には、読者があまりついてこない。それに対して、村上春樹のつくったものは「自分の体がかかっている」のだそうだ。なんとなく分かる気がする。


もちろん、だからといってみんなが村上春樹みたいに早起きしてジョギングすればいい、ということでは、もちろんない。私が思い付いた例で言えば、例えばカフカの書いた小説は、虚弱だったカフカなりに「体がかかっている」と思う。


河合隼雄の発言では、「ぼくは何をしているかというと、偶然待ちの商売をしているのです」という言葉が刺さった。言うまでもなく河合隼雄心理療法家であって、人の心を「治す」ことが仕事である。しかし河合隼雄は、自分から何かをやって治そうとするのではなく、ただひたすら偶然を待つのだという。


簡単そうに見えるだろうか。私はソーシャルワーカーの端くれとして、これほど難しいことはないと感じた。ふつうの人でも、相談を受けると、何かアドバイスをしたくなる。困った行動を取る人がいると、なんとかやめさせようと説教したりする。


人間は、何かを「する」ほうが簡単なのであって、「ただひたすら待つ」ことは、実はとても難しいのだ。もちろん、必要なときは、瞬時に動いて対応せねばならず、その見極めもつけなければならない。その上で「待つ」には、相当の覚悟と根性と見極め力が必要だ。


だいぶ脱線というか、本書の一部だけをふくらませていろいろ勝手なことを書いたが、そんなふうにさまざまに展開できる発想や考え方の「タネ」が、この対談にはびっしりと埋め込まれている。この本を読むことで、自分にとってのタネ、あるいは「水脈」のようなものを何かひとつ見つけられれば、よいのではないだろうか。