自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

【2505冊目】マーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化』

 

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 お客様の中に、テレパシーを使える方、透視のできる方、未来を予知できる方、死者の言葉を聞くことができる方はいらっしゃいますか?

 

そう問われたら、あなたが一定の視覚障害をお持ちでない限り、この問いかけに手を挙げなければならない。なぜか。

 

まず「テレパシー」だが、これは「感情の読み取り」と言い換えられる。では、どうやってわれわれは他者の感情を読み取っているのか。表情? 声色? それもあるだろうが、本書で紹介されているのは、われわれがわずかな顔色の変化を読み取っている、というものだ。

 

それを支えているのが、肌の色の違いを高感度で読み取る「色覚」である。さらに言えば、われわれの色覚は「肌がよく見えるように」進化したのである。その一つの証拠が、女性の方が男性より色覚異常が少ないこと(男性は1割以上が色覚異常だが、女性は0.5パーセント未満)。その理由として著者が推測しているのが、赤ん坊の顔色の変化から体調変化を読み取る必要があったから、というものなのだ。一般にも女性のほうが人の気持ちを読み取るすべに長けているといわれるが、それも女性のほうが、敏感に顔色を読み取っているためなのかもしれない。

 

次の「透視」は、両眼視差。右目と左目でわずかに視野のズレがあるため、われわれは「見えない部分」を補い合うことで、フェンスや木立の向こう側を見通すことができる。ここでは錯視をめぐる議論が面白い。われわれの目は、決して世界をあるがままに見ていない。私たちは、自分にとって役に立つようにモノを見ているのである。コンピュータのデスクトップが「役に立つから」ああいう外見になっているのであって、内部を正確に表していないのと同じことだ(p.115参照)。これは錯視理解の基本であるが、著者はわれわれが平面図から勝手に奥行きを認識してしまう理由を、一般にいわれるような「立体視」ではなく、草の陰から向こう側を見るためであるとする。立体視はいわば、その機能に勝手に付随してきたものなのだ。

 

読んで驚いたのが、次の「未来予知」。ここでは、人間が光を受けてから視知覚に転換するまでのタイムラグが問題になる。その時間は約0.1秒。わずかなようだが、これは人が10センチ歩き、バスケットボールなら1メートル飛ぶ時間である。見えてから反応しては間に合わない。では、どうすればよいのか。

 

その遅れをリカバリーするために、なんと脳は見えているものの移動を少しだけ「先読み」していると著者は明らかにする。落ちてくるボールを見ているとする。われわれが「見ている」と思っているボールの位置は、実際の位置よりちょっとだけ下なのだ。だから、例えばボールの脇で不規則にライトを点滅させると、実際はボールの位置とライトの点灯は同じ位置になるはずなのに、われわれは「先読み」の分、ボールのほうが下にあると認識してしまうのである(ライトの不規則な点滅は予測できないから)。

 

「死者の言葉を聞く」は、本書では「霊読」と訳されているが、これは実は「文字を読む」というわれわれの能力のことだ。

 

もちろん、文字を読む能力は視力の一部である。だが、なぜわれわれは文字が読めるのか。言い換えれば、われわれが認識しやすいように、どういう文字が選ばれたか。著者はここで、文字はもともと自然界に存在する形象の一部であるという、驚くべき仮説を持ち出してくる。この仮説については、表意文字である漢字を知っている分、われわれのほうが理解しやすいかもしれない。だが、著者によると表音文字であるアルファベットも例外ではないという。それらもまた、自然界のデザインと対応しており、そのためヒトの目に止まりやすいのだ。

 

ここで著者は、世界中に存在するさまざまな文字を比較し、基本的なパターンをもとに分類してみせる。すでに失われた文字も含め、そこには驚くほどの類似性がある。著者はその理由を、自然界にあるさまざまな「かたち」と文字との類似性によって説明してみせる。分岐する枝、相互に接している岩など、自然界のデザインという共通の祖先から、世界中の文字は生み出されていたというのである。