自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

【2440冊目】北杜夫・斎藤由香『パパは楽しい躁うつ病』

 

パパは楽しい躁うつ病 (新潮文庫)

パパは楽しい躁うつ病 (新潮文庫)

 

 

北杜夫はひととおり読んだつもりだったが、「松岡正剛の千夜千冊」で取り上げられるまで、こんな本があるとは知らなかった。晩年に娘と語り合った異色の対談。しかもメインテーマは「躁うつ病」である。

作家であり、同時に精神科医でもあった北杜夫は、娘の由香が小学生になるころから躁うつ病にかかっていたという。最初に気付いたきっかけは、朝起きたら「喜美子のバカ、喜美子が先に寝やがるから、俺様は蚊に喰われたじゃないか!!」と書かれた新聞紙が食卓に置かれていたから。そこからだんだんおかしくなり、躁状態になると自宅で「独立国家宣言」をしたり、英語や中国語の勉強をしようと大音量でラジオ講座を聞くようになった。一番大変だったのは、株を始めてしまうこと。しかも躁状態で浮かれて売り買いをするため、高値になると盛り上がって買ってしまい、値崩れすると売る。つまり「絶対に儲からない」売買をやっていたのである。

北杜夫躁うつ病は一年周期だったらしい。夏ころに躁状態になり、秋頃に落ち着いてきた冬になると「冬眠状態」でずっと寝ているようになる。うつ状態での自殺企図などはなかったようだが、それにしても躁状態でのいろんな行動は、さぞ家族も困ったことだろう。もっとも本書を読んで感じたのは、とにかく妻があっけらかんとして、もちろん株の売買ではえらく苦労もし、嘆きもしたが、躁うつ病自体を深刻に捉えていなかったこと。それが良かったのだろう。娘もまた、苦労もさせられ、振り回されながらも、どこか「パパはそういう人」として突き放し、冷静に見ることができていたようだ。そうでなければ、何より精神的に参ってしまったことだろう。

それにしても、本書での父と娘のやり取りはおもしろい。いわゆる「普通の家族」とはだいぶ違うが、これはこれでアリかな、という気がしてくる。何より娘が、父のことをボロクソ言いながらも、しっかりと愛しているところがすばらしい。ちなみに、以下は72歳で躁が「再発」し、競馬のため生原稿を売ったというエピソードでのやり取り。

由香)編集者の人から教えてもらったけど、パパと飲みに行ったとき、背広の内ポケットから封筒を取り出して、「今、生原稿を売ってここに10万ありますから、銀座のバーで豪遊しましょう」って言ったんでしょう?

北)全然覚えてない。(と横を向く)

由香)ママが気づいたときも何かを売っていて5万とか10万とか持っていた。10回くらい売ってる。

北)いや、そんなに売らないよ。2回くらい。(きっぱりと)

由香)嘘だよ! 知ってるもん、私、(にやっと笑う)「パパがまた生原稿売ってたのよ」ってママが何度も言ってたのを。

北)いや、2回だけ、ほんと。

由香)ママが「競馬のために生原稿を売るなんてなさけない」って言ってました(笑)
(p.167-168)

 

 

良い会話じゃないですか。いろいろあって、たぶん許せないようなこともたくさんあって、それでもそこを乗り越えてきた父娘の会話、って感じ。そして、北杜夫という人物のいわばキャラクターが、娘の力を借りて、この本には実にうまく描き出されている。「千夜千冊」に選ばれるのも納得の一冊だ。