自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

【2406冊目】雨瀬シオリ『ここは今から倫理です』

 

 

 

クールな高校の倫理教師、高柳が主人公というちょっと変り種の「教師モノ」漫画なのだが・・・ん? 倫理?

倫理がテーマ、というだけで「あのつまらない授業を思い出す」という人も多いだろうが、本書はそのイメージを逆手にとっているところが面白い。そもそも倫理とは、高柳先生が授業の冒頭で繰り返すように「学ばなくても将来ほぼ困ることはほぼ無い」が「死が近づいたとき」「信じられるものがなくなった時」「人間関係がうまくいかない」「他人を羨んで妬んでうまく生きることができない」「悩みが絶えず苦しい、憂鬱」「死にたい」……と思ったときのための学問なのだ。

だから授業では響かなかった言葉が、場面によってはまるで違う響き方をする。その「響かせ方」が本書の眼目といっていい。ずっといじめられっ子で、「いじめられっ子を救えるような”いい先生”になりたい」という子には、高柳先生は善と悪の曖昧さを説く。「善なるものは吾これを善とし、不善なるものも吾またこれを善とす。徳は善なればなり」(老子。高柳先生はその子の中に、いじめっ子を、悪を排除する心性を見て取ったのである。あるいはSNS中毒で授業中でも「いいね」の数が気になってしょうがない生徒には、SNS上の人格もまた、われわれがもつたくさんの「仮面」(ペルソナ)の中のひとつにすぎないという。「記憶しておきなさい。君はこの世界という演劇の、1人の役者であると」(エピクテトス。高柳先生はSNS自体を否定するのではなく、「勉強は仮面をキレイに磨くことではなく、貴方という役者を磨く場所」であると言い、SNS上の仮面にとらわれすぎて自分自身を見失うな、と語るのだ。

高柳先生自体もあまり超然としすぎず、悩める存在であるというのもいい。白眉は第11話「善と悪」。ヤクザの兄を持つ陸は、その兄の手伝いをするうちにヤクの取引に巻き込まれ、ジュダという謎めいた男に救われるが、この男自体が実はヤクの取引の元締めのような「悪」なのだ。しかも高柳先生はかつて、学校では自殺未遂を繰り返していた子を、このジュダに「救われた」経験を持っているのである。「アンタみたいな”善”には、何も救えない」というジュダに、先生は言い返せず沈黙するのみ。だがそのジュダもまた、先生と善悪をめぐる言い争いをすることが、唯一の「救い」になっているようなのだ。

倫理なんて、人一人救うことのできない、ただのきれいごとかもしれない。だがそんな「きれいごと」に、「善」に賭け続けるところに、人の尊さはあるのではないだろうか。う~ん、漫画を読んでこんな感想を持つことになるなんて、夢にも思わなかった。ちなみにこの人の漫画は初めて読んだが、絵がめっぽううまい。特に表情の捉え方は見事。「倫理ネタ」で続けるのは大変かもしれないが、いやいや、これは人間として生きる上でのすべての困難と苦悩が関係してくる「ネタの鉱脈」なのだから、ぜひとも長期連載を目指してほしい。現時点で3巻まで刊行済み。第4巻が楽しみだ。