自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

【2306冊目】宇沢弘文『人間の経済』

 

人間の経済 (新潮新書)

人間の経済 (新潮新書)

 

 

前から気になっていた経済学者だが、ちゃんと本を読んだのは初めて。もっとも、本書は著者の講演録やインタビューをもとに書き起こされたものらしい。今度は著者自身が書いた文章で読んでみたい。

それほどに本書は素晴らしかった。タイトルどおり、本書で書かれている経済学には「人間」がいる。マネーゲーム金融工学とは違う、「人の道」としての経済学がここにある。

「私はアメリカやイギリスで長いこと教えたあと、ヴェトナム戦争を契機として日本に帰ってきました。それ以来、日本の経済社会あるいはアメリカの惨憺たる状況を見て、経済学が社会の病を作っているのではないか、何とかして経済学が人間のための学問であるようにと願い、様ざまな努力をしてきました。結局、あまりものにならないようですが、その過程で私は一つ大事なことに気がつきました。
 それは、大切なものは決してお金に換えてはいけない、ということです。人間の生涯において大きな悲劇は、大切なものを権力に奪い取られてしまう、あるいは追いつめられてお金に換えなければならなくなることです」(p.50-51)

少し長い引用になったが、本書のエッセンスはこのくだりに凝縮されていると思う。ただし、そのためには一人一人の人間が、時には自分の職や立場を賭して戦わなければならない。それは社会、教育、都市計画などすべての分野に言えることだ。

印象的だったのは安倍能成のエピソード。旧制一高の校長として終戦を迎えた安倍は、施設を接収するためにやってきた占領軍に対して、こう言い放ったという。

「この一高は、Liberal Arts(リベラルアーツ)のCollege(カレッジ)です。ここはsacred place(聖なる場所)であり、占領というvulgar(世俗的)な目的のためには使わせない」(p.85)

終戦直後に占領軍にここまで言えるというのは相当なものだが、さらにその後、文部大臣になった安倍は、日本の教育改革のためやってきたアメリカの大調査団に対して、またもやこう言ったのだ。

「日本は占領中、いろいろな国を占領した。そのときの最も重い罪は、それぞれの国の歴史、社会、文化、それらを無視して日本の制度を押しつけたことだった。あなた方は占領国を代表して日本の教育制度の改革に来られたが、日本が犯したのと同じ罪を、決して犯さないでほしい」(p.87-88)

見事としか言いようがない。繰り返すが、占領期の日本でこれほどの発言をする人物が日本にはいたのである。ところが、その後の日本はどうだろうか。本書にも書かれているとおり、アメリカの誘導で日本は農業基本法をつくって日本の農業をほとんど壊滅状態に追い込み(農業基本法制定後30年で、農業を選ぶ新卒者は9万人から1800人に減った)、日米構造協議では10年間に630兆円の公共投資を迫られた結果、無駄な公共工事で地方の環境が破壊され、その費用は地方交付税措置をアテにした地方自治体の地方債で賄われたのである(その後の地方交付税カットで多くの第3セクターが巨額の負債を抱え、そのつけ回しを地方自治体が被ることになったのは周知のとおり)。

そこには一人の安倍能成も、また一人の石橋湛山もいなかった(湛山もまた、本書で絶賛されている日本人である)。そして2014年には、人間のための経済学を唱え続けた宇沢弘文が世を去った。いったいこれからの日本は、どこに行ってしまうのだろうか。