自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1825冊目】小林秀雄『考えるヒント』

考えるヒント (文春文庫)

考えるヒント (文春文庫)

ジャンルで言えば「エッセイ」ということになるのだろうが、そんじょそこらのエッセイと思って読むと面食らうことになる。

入口の敷居は低い。ちょっとした世間話のように、さりげなく文章がはじまる。ところが、気楽に読もうとすると、開始数ページ(ヘタをすると数行)で思考が弾かれる。潜水艦が一挙に深海へと沈むように、気楽な風情で始まった文章は、あっという間に思索の深淵へと降りていく。けっして難しい言葉は使われていないのだが、思考のプロセスをひとつひとつ辿るように書かれているので、一度その踏み板を踏み外すと戻ってくるのが大変だ。

「考えるヒント」という書名だが、むしろ内容は「考える訓練」あるいは「考えるエクササイズ」というべきだろう。考えるためのノウハウが書かれているのではなく、著者自身の思考の道筋を辿りつつ、読み手自身も考えることによって、いうなれば思考のための「筋肉」が鍛えられるからである。

中でも、この人の「思考」が凄いのは、抽象と具体、理想と現実、理性と感覚といった相反する要素のバランスが見事に取れている点だ。だからどんなに議論を深めても、思考が本筋を外れることはないし、無益な抽象論や理想論に堕することもない。

本書の内容自体をここで紹介することにはあまり意味がないのだが、しかし非常に面白い指摘がいろいろあったので、備忘を兼ねてメモしておきたい。特に「自己」に関連するテーマに、深いものが多い。こないだ読んだ「学生との対話」でもそうだったが、著者はかなり「自己」ということに関心があったようだ。

ソクラテスの定義によれば、指導者とは、自己を売り、正義を買った人間だ」(p.32)


これは指導者にだけ言えることではないだろう。正義をふりかざす連中を見たら、今度からはこのフレーズを思い出すことにしよう。

「変り者はエゴイストではない。社会の通念と変った言動を持つだけだ。世人がこれを許すのは、教養や観念によってではない、附き合いによってである。附き合ってみて、世人は知るのだ。自己に忠実に生きている人間を軽蔑する理由が何処にあるか、と。そこで、世人は、体裁上、変り者という微妙な言葉を発明したのである」(p.82-3)


先ほどとは別のエッセイに書かれている文章だが、並べてみるとみごとに対照的なのが面白い。

「だが、やがては思い知る時が来た。書くとは、分析する事でも判断する事でもない。言わば、言葉という球を正確に打とうとバットを振る事だと」(p.193)


全体の本筋からはやや外れたところに出てくる文だが、これは素晴らしい。問題は、何をもって「正確」と言えるのか、ということであるが。

「自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への賛辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気附く」(p.200)


「批評の神様」と呼ばれた小林秀雄がこう書いていることは、覚えておいたほうがよさそうだ。ちなみにこの「批評」というエッセイは、ネット上の掲示板やらコメント欄やらで悪口を書きまくっている連中全員に読ませたい。「悪口批評」の非生産性と醜悪さが的確に説明されている。

そして、こうした本に古いも新しいもない、ということにも、読んでいて気づかされる。例えば本書には、ソヴィエト連邦やら旧ベルリンを訪れた際のことが書かれているが、描写はさすがに古くても、そこで著者が感じたことや考えたこと自体は、まったく古びていないのだ。

そもそも本書に紹介されているプラトンの著作や「プルターク英雄伝」や「平家物語」だって、そこに躍動している思想や感情は、まったく古びていないではないか。本書もまた、ある意味でそれに連なる一冊だ。思考に賞味期限はないのである。