自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1644冊目】三木成夫『内臓とこころ』

内臓とこころ (河出文庫)

内臓とこころ (河出文庫)

経験のない読後感。「アタマ」だけでなく「ココロ」が直接、掴まれる。

著者は人間の身体を「体壁系」と「内臓系」に分ける。「体壁系」とは皮膚、神経、筋肉など、感覚や運動に関する部位をいう。一方「内臓系」とは血管や腸管など、文字通り「ハラワタ」の部分だ。

一般に、人が自分の身体に注意を向ける時は、体壁系が中心になる。一方、内臓はよほど不調の時以外は忘れられがちだ。だが著者は、それは逆ではないかという。「生命の主人公は、あくまでも食と性を営む内臓系で、感覚と運動にたずさわる体壁系は、文字通り手足に過ぎない」(p.87)……そう。生命の核心とはまさに「食」と「性」、つまり個体の維持と種族の保存なのだ。

まあ、このあたりまでは順当な内容だ。スゴイのはこの先、内臓の「波動」に着目し、それを自然全体、地球や宇宙そのものの波動と共振するものと考えていくところ。まさに著者の真骨頂である。

たとえば、これはすっかり有名な話だが、人間の「体内時計」は一日約25時間と言われている。地球の自転リズムである24時間と人間のバイオリズムはズレているのだ。だから朝起きたら朝日を浴びて体内時計をリセットしなさい、とよく言われる。

だが、この「25時間」のリズムはいったいどこからきているのか、考えたことはおありだろうか。著者が着目するのは、なんと潮の満ち引き(潮汐リズム)。月の巡りをもとにした潮汐リズムは、当然ながら太陽リズムとはズレているのだが、この時間が24.8時間だというのである。つまり25時間とは「海のリズム」なのだ。

それが人間の体内時計にビルトインされているということは、われわれの遠い祖先が暮らしていた海辺の時代の「生命記憶」がそこにあるのではないか、と著者は考える。

ほかにもある。だいたい女性の月経がそうであるし、たとえばゴカイは1年に1回、決まって海底の砂の中から出てきて交尾を行う。ネコの発情期だってだいたい季節が決まっているし、サケの排卵もそうだ。

「……ここまできますと、もう動物の体内にこうした宇宙リズムが、初めから宿されていると思うよりないでしょうね……。そして、その場が内臓であることはいうまでもない。もっと厳密にいえば、内臓のなかの消化腺と生殖腺でしょう。この二つの腺組織の間を、そうした食と性の宇宙リズムに乗って「生の中心」が往ったり来たりしているのです」(p.75)


しかし、なぜ生命と宇宙は「同期」しているのか? 著者は次のように言う。

「これまでの実験調査から見ますと、三十億年の昔、原始の海面に小さな生命のタマができた時、もうそのなかには、地球を構成するすべての元素が入っていたという……。げんにこのからだには、鉛も入っているし、砒素も入っているし、六価クロムも入っております。猛毒の元素がきわめて微量に入っております。それはちょうど、地球というモチをちぎったようなものですから、ひとつの星―”生きた地球の衛星”ということになりますね」(p.78)


つまりわれわれの身体は、そのままですでに小さな地球であり、小さな宇宙なのだ。引用を続けよう。

「私たちの内臓系の奥深くには、こうして宇宙のメカニズムが、初めから宿されていたのです。「大宇宙」と共振する、この「小宇宙」の波を、私たちは”内臓波動”という言葉で呼ぶことにしております」(p.79)


……ここのあたりを読んでいて、なんだか私は感動してしまった。考えてみれば、小説やドキュメント・タッチのものはともかく、本書みたいな解剖学者の講義を読んでこういうふうに感じたのは、初めてのことかもしれない。

ところで本書は、保育園で行われた「講義」を書き起こしたものだという。母親や保育士さんが聞き手だったのだろう、きわめてやさしく、ユーモラスな語り口で終始進んでいくが、語られていることはなんともすばらしく、とんでもない。なんといっても、オシッコとオッパイの話から始まって内臓感覚の話、宇宙と生命のリズムの話、そして「心」の生命的な本質から人の誕生と成長までが語りつくされてしまうのだ。

こういう本は、めったにない。ああ、できればこの人の講義を、ナマで聴いてみたかった。特に小さいお子さんがいる方、これから生まれるという方には、せめて本書を読むことを無条件でオススメしたい(あ、妊娠中の方は同じ著者の『胎児の世界』のほうがいいかも。この本はずいぶん前に読んだが、また読みなおしたい一冊)。

やさしく、おもしろく、そして底なしに深い一冊。素晴らしい読書経験だった。

胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691))