自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1643冊目】長谷部恭男『法とは何か』

法とは何か---法思想史入門 (河出ブックス)

法とは何か---法思想史入門 (河出ブックス)

なぜ、法律を守らなくちゃいけないの?

そう子どもに聞かれたら、何と答えるだろうか。「そう決まってるから!」では、到底子どもを納得させることはできないだろう。むしろ聞かれたオトナのほうが考え込んでしまいそうだ。法律って、本当に守らなきゃならないのかな? でも、どうして?

実は、これってけっこうな難問なのである。なぜなら、一見シンプルなこの問いの向こうには、実は、法と秩序と道徳と国家の根源をめぐる大問題が広がっているからだ。

最初はおそらく、ソクラテスだ。ソクラテスがなぜ毒杯を飲んで死刑にならなければならなかったのか、というところから、この問題は延々と続いている。アテネの悪法を命を賭して守ったソクラテスの「問い」が、いわば後世の世界中の名だたる思想家たちを震撼させてきたのだ。プラトンアリストテレス、そしてホッブス、ロック、ルソー、カント。さらには最近のケルゼン、ハート、ドゥオーキン……。最近ちょっとかじったロールズなども、この系譜に連なる思想家だ。

本書は、サブタイトルに「法思想史入門」とあるとおり、こうした法と国家をめぐる思想史をあらためて辿りなおす一冊だ。昔ちょっとかじったホッブスやロック、ルソーあたりは、半ば高校の授業の復習のようにして読んだが(でも知らないこともいろいろ書いてあった)、これまでほとんど触れたことのなかったケルゼンやハート、ドゥオーキンについても、その思想がたいへん分かりやすく解説してあり、手薄な近現代の政治思想がかなりカバーできた。

ちなみに備忘のためメモっておくと、ケルゼンは「徹底した価値相対主義」、ハートは法に対する人々の意識・認識を重視(「認定のルール」)、ドゥオーキンは解釈重視で法の権威には否定的、といったあたりが特徴だろうか。

しかも単に中立的に紹介するだけでなく「ケルゼンの特質は、首尾一貫した説明を突き進めるあまり、常識とは相当に異なる結論にいたっても平然としている点にあります」(p.127)なんて指摘がさらっと出てきたり、ドゥオーキンの法解釈をめぐる考え方について「結論としては、受け入れ難いものです」とバッサリ断じているなど、著者自身の思想がきっちりと裏打ちされた解説になっている。

さて、本書はこうした先人の業績をざっと眺めた上で、法と国家、そして民主主義をめぐる考察に突入していく。この後半部分はどちらかというと著者自身の思想が開陳されているが、前半同様、非常に整理されていてわかりやすい。

まず法と国家だが、ここでは「法と国家はどちらが先か」という議論が興味深い。国家が法を作るんだから国家に決まってるじゃないか、とも思えるが、では憲法はどうか。

憲法(実質的意味の憲法)とは、著者によれば「誰が国家の名において行動することができるか、そうする際にどのような手続きを経て、どの範囲の行動をすることができるかを定める基本的なルール」(p.163)をいう。

この考え方は、国家を法人ととらえており、その法人が活動するための「機関」のあり方を定めるのが憲法である、という位置付けになっている。となると、憲法があって初めて国家は法人として機能する、つまり憲法は国家に先行する、ということになる。

「定款が存在しなければ法人が存在しないのと同様、実質的意味の憲法がなければ国家は存在しません」(p.164)


こうなってくると、では国家以前に憲法を制定する存在とは何なのか、という大問題が出てくる。これがいわゆる憲法制定権力の問題だが、著者はこの問題にはあまり関心を示していない。「肝心なことは、機能する憲法(実質的意味の憲法)が現に存在することです」というだけだ。

そもそものところから考えてみれば、だいたいホッブス以来の国家論、国家観自体、現実の国家の発生とはかけ離れたフィクショナルな仮構だった。「現にある国家」をなぜ是認しなければならないのか、というところから逆算的に思想を組み立てたところから、この手の法思想は始まっている。憲法制定権力の問題も、こうした「フィクショナルな国家観」に相通じるものなのだ。

著者の議論はこうした国家観をリスペクトしつつ、次第に「現実の」国家と法律の関係に議論を移していく。その内容はここで到底紹介しきれるものではないが、国家と法律の「イデアとリアル」を突き詰めた、非常に充実した議論になっている。

「なぜ、法律を守らなくちゃならない」のか、一度でも本気で考えたことがある方なら、得るものはいろいろあると思われる一冊。もっとも、肝心の問いへの答えそのものが得られるかどうかは別問題だが……。

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)