自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1450冊目】新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』

商店街はなぜ滅びるのか?社会・政治・経済史から探る再生の道? 光文社新書

商店街はなぜ滅びるのか?社会・政治・経済史から探る再生の道? 光文社新書

タイトルは(特に関係者にとっては)かなりショッキングだが、内容はわりと芯のとおった社会学的論考。商店街の成り立ちや歴史を丁寧にたどり、その問題点を明らかにする一冊。

そもそも「いつから商店街というものが生まれたのか」なんて、今まであまり考えたことがなかった。というか、ずっと昔からある伝統的な存在だと、本書を読むまで漠然と思い込んでいた。ところが本書は、まず「そこ」をひっくり返してくる。こういうふうに。

「商店街はまったく伝統的な存在ではない。現存する多くの商店街は二〇世紀になって人為的に創られたものだからである」(p.25)

これだけでもビックリだが、さらに驚くのは、商店街が「創られた」来歴だ。その背景にあるのは、20世紀前半の離農者の増大であり、第一次世界大戦終了後から世界恐慌までの間、日本中を覆っていた不安定な経済情勢。

経済的に困窮した農民が、死中に活を求めて都会に出てきた。ところが折からの不況で、都会にも働き口がない。そのため少ない元手で始められ、さしたる専門知識もいらない零細小売業に手を出す離農者が多かったという。

都会には零細小売業がやたらに増えた。しかし彼らは家族経営であり、民間企業のようにシビアに営利を求めるところまではいかない。なにしろ基本的にはシロウト商売である。

ところが、まさに同時期の日本では百貨店が登場し、その品ぞろえと専門性で零細小売業を脅かしていた。そこで百貨店に対抗し、物資の共同購入資金融通、さらには商品配達や売り出し企画などを共同で行うための「異業種の横の連携」として商店街が形成された(それまでは酒販や米穀などの「同業者組合」が中心だった)。これが商店街というネットワークの「元祖」にあたる。

つまり商店街というヤツは、そもそも最初の最初から「百貨店に対抗」するための組織であったのだ。もちろんそれ以外の、合理化や地域的連帯などの理由もあるのだろうが、よく言われる「昔からある商店街が百貨店に脅かされている」という図式は、ある意味まったく逆なのだ。商店街が最初からあったのではなく、対抗原理として商店街が「後から」形成されたのである。そして、思えばこのことが、商店街の基本的性格を決めてしまったのかもしれない。

彼らの基本姿勢は、自らを脅かす存在(百貨店とか、スーパーマーケットとか、ショッピングモールとか)に対して、自分たちを守るというスタンスである。そしてそのために、商店街は大規模店舗への法規制や補助金、低利融資など、行政に助けを求めるようになり、ひいては当時の与党である自民党にすり寄り、軒並み保守化することになった。

じっさい、商店街への補助メニューの多様さとつぎ込まれているお金の大きさは、知らない人が実情を知ったら腰を抜かすほどの規模である。ところが行政サイドでは、商店街への補助の「あり方」について議論になることはあっても、「そもそも補助が必要なのかどうか」が問われることは、きわめて少ない。

さて、商店街の「敵」はかつて百貨店だった。今ではロードサイドの巨大ショッピングセンター、ショッピングモールが「メインの敵」なのだが、こうした「外部の敵」に加えて、実は今の商店街が「内部の敵」によって食い荒らされているのをご存じだろうか。

その正体こそが「コンビニ」である。コンビニはフランチャイズ方式をとり、まさに零細小売業のオーナーをターゲットに事業展開してきた。ちなみに、著者のご両親も自営で酒屋を営んでいたが、今はコンビニに業態転換したらしい。

このことは商店街の「存在意義」を根底からくつがえした。デパート進出時に「横のデパート」と呼ばれたように、商店街は多様な専門店が軒を並べているところに特徴があり、共存共栄のしくみがあった。ところがそこに、コンビニという「万屋」(p.191)が登場したのである。しかもその担い手は、商店街を形成している商店主自身であった。これには補助金も法規制もほとんど効き目はない。商店街関係者にとっては、コンビニは新手の耐性ウィルスのようなものであろう。あるいは自己免疫不全症候群の一種だろうか。

それにしても、今更だが、そもそも商店街って一体なんなのか。単なる「小売業の集まり」というだけでは説明しきれない何かが、そこにはある。小売業というレッキとした「経済主体」の集まりであるにもかかわらず、ある意味で市場経済の原理の外に片足を突き出しているようなところがある。

そして、そこには近現代の日本が抱えてきた政治・経済・社会の一筋縄ではいかないねじれた関係が、象徴的に現われているともいえる。本書は商店街そのものを描くと同時に、その向こう側にある日本社会の歴史と現状をみごとにあぶりだしている。

もっとも著者自身、すでに書いたように「酒屋の子ども」であり、家が商売をやっていることでいろいろ複雑な思いを抱くこともあったらしい。そう考えれば、本書は著者の研究テーマであると同時に、著者のこれまでの人生のテーマを書いた一冊であったのかもしれない。今後このテーマを著者がどんなふうに展開していくのか、楽しみに次の一冊を待ちたい研究者である。商店街関係者必読の一冊。