自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1803冊目】原田マハ『キネマの神様』

キネマの神様 (文春文庫)

キネマの神様 (文春文庫)

映画本1冊目。

映画でも小説でも、良い作品を観終わった(読み終わった)後って、なんだか頭の奥がじーんとして、しばらく何も言葉がでなくなる。映画館だったらエンドロールが終わってもなかなか立ち上がれないし、小説だったら、本を閉じたまま固まってしまい、次のアクションに移れない。

これはそういう小説だった。細かいところでいろいろ気になる部分、粗い部分はあるが、それを押し流すような筆の勢いがあり、映画と人間に向けたあふれんばかりの愛情がある。

本書の主人公、円山歩は、社内のいざこざから左遷人事をくらって大会社の課長職を辞め、ひょんなことからつぶれかかった映画雑誌会社「映友」に入った女性……とされている。しかし、本当の主人公はむしろ、歩の父親、「ゴウ」こと郷直だと思う。

映画とギャンブルに目が無く、借金を抱えては妻と娘に押し付ける、サイテーだがどこか憎めないダメ親父。そのダメ親父が、映画について書いた文章を映友のブログ「キネマの神様」に載せるようになってから、物語が本格的に回り始める。

まずもって、この「ゴウ」の映画評が素晴らしい。『フィールド・オブ・ドリームス』について書いた長文の記事が小説中にまるごと載っているのだが、これがもう、映画愛にあふれているだけではなく、自分の人生や今の状況と映画の中身がみごとに結びつき、一体となって読み手に迫ってくるのである。

職業書評家では決して書けない、というか書いてはいけないような文章だ。だがそれが、なんとも魅力的で読み手を惹きつける。そして、この小説の白眉ともいえるのが、「ゴウ」の記事への反論を寄せるライバル「ローズ・バッド」の登場だ。

当初、この物語は歩を中心に回っていくのかと思っていた。たぶん歩と新村あたりのラブコメがあり、歩の記事がきっかけで映友は持ち直し、でもそこに歩の前の職場のシネコン計画の影が……みたいなお話かと予想していた(勝手ながら、たぶん著者自身も、最初はそういう青写真を描いていたんじゃないかと思う)ので、思いもかけない展開にびっくり。

それはともかく、この「ゴウ」と「ローズバッド」の映画評対決の迫力が圧巻なのだ。完全に小説本体を食っている。単に映画そのものを評するだけではなく、その裏側にある歴史的文脈、監督の心理状態、あるいはさらに民族レベル、国民レベルの無意識のありようまでもそこに読み込んで、しかもユーモアと相手への敬意は片時も失うことがない。たとえば私など、『フィールド・オブ・ドリームス』を観たことがあっても、この二人の応酬を読むと、なにも「見えて」いなかったのだなあ、と愕然とする。

ブログがきっかけで会社が立ち直り、書き手がヒーローになるなんて、ブロガーにとっては夢のような話だが、本書がユニークなのは、「大会社のシネコンと場末の名画座」という古典的な構図(「大企業対零細企業」「ショッピングモール対昔ながらの商店街」みたいな)に、ブログという現代的なアイテムを絡めたところ。しかも、安易に「ブログの声が広がって名画座救済!」みたいな話にはせず、ローズ・バッドという謎の投稿者を絡ませることで、実に納得感のあるエンディングをつくり上げて見せたあたりが、実にうまい。

その頂点となっているのが、ラストの映画のシーン。途中で出てくる映画のイントロの描写、ローズ・バッド(の正体)が語る「The Name above the Title」の話など、すべてここにつながっている。このシーンを描きたくて、著者はこの小説を書いたのではないか、とまで思えてくる名シーンである。

いや〜、いい小説だった。映画ファンは必読だ。そして、これはぜひ映画化してほしい。でもって、ぜひとも映画館で観たい。まあ、作ったとしても、シネコンはかけてくれなさそうだな、この映画。