【1263冊目】松田行正『はじまりの物語 デザインの視線』

- 作者: 松田行正
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2007/04
- メディア: 単行本
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厳密にいえば、世の中にまったく新しいものは存在しない。
すべてのものはいろいろな要素の組み合わせから成り立っているのだし、さらにそれぞれの要素にしても、そこにはさまざまな来歴や記憶や変遷が折りたたまれている。本書はデザインの基本要素を取り上げて、それぞれの「はじまり」をたどる一冊。
取り上げられているのは、18の項目。「対という概念」「速度への憧れ」「直線の発見から四角形へ」「魔法陣とグリッド」「螺旋と酩酊感」「抽象表現」「反転するイメージ」「ラインと連続」「混ぜる文化」「感覚の置換」「読みやすさの追求」「メリハリをつける」「豊穣なシンプル」「封じ込める」「レディメイド」「デフォルメ」「オブジェ」と、こうやって目次を列挙しただけで、この著者が「デザイン」についてどういう要素で考えているかが見えてくる。
そして、われわれがデザインをしたり、見たりするときも、考えてみれば、無自覚にこういう要素を組み合わせ、動かしていることが多い。しかし、そのひとつひとつにどういう来歴があり、そこからどういうイメージの連鎖が広がるかということについては、あまり考えることがない……というか、そもそも知らないことが多い。
本書に紹介されている、ひとつひとつの要素に込められた「はじまりの物語」は、ひとつひとつが驚きの連続である。例えば第6章「螺旋と酩酊感」では、渦や貝殻などの自然現象から螺旋現象を見出したのではないかといったん振った上で、しかしそれでは「刺激が足りない」とする草森紳一説を紹介する。では、螺旋の「起源」は何か。草森説では、これがなんと、食人の習慣なのであった。
「古代人は、はじめて人を食べたときにあるものを目撃した。それは、人を食べるために体を切り開いたときにはみ出てきた曲がりくねった腸である。
このとき人々は、この腸のうねりは普段目にしている花やわき水などと同じような形をしているのではないか、われわれの対内に自然と同じ模様があるのではないか、と気づいた(かもしれない)。これが身体のなかの『螺旋』模様の発見だ」(p.93〜94)
いささか無理筋とも思える理屈であるが、その例として17世紀の万能科学者キルヒャーの描いた人体図(腸が見事な螺旋形となっている)、1世紀のインドの解剖図などを見せられ、とどめのように草森氏の「螺旋を見て酩酊感を覚えるのは『人間が自分の肉体と出会うからだと思っている』」なんて言葉を紹介されると、う〜ん、そういうこともあるのかな、という気になってくるから恐ろしい。
まあともかく、螺旋のイメージの源流のひとつに「人間の腸」を意識することで、螺旋という形象自体に対するイメージの広がり方は変わってくることだろう。ちなみに本書ではその後、インディアンの砂絵マンダラや古代クレタの円盤に見られる螺旋を紹介した後、なんと一足飛びにナチスのシンボルマークである逆まんじ模様を「螺旋の酩酊感」の利用例として取り上げるのだ。確かに斜め45度に置かれたあのカタチは、今にも回転を始めそうだ。そこに渦巻き模様の酩酊感を感じ取るのは、そう難しいことではない。しかしそれにしても……う〜ん、そうだったのか。
もうひとつ、興味を惹かれたのは「ストライプ模様」のこと。これはもともと、砂漠での視認性を高めるため、イスラム教徒たちが服の模様に使うことが多かった。それが中世ヨーロッパ社会では、異教徒を意味する模様として差別と憎悪のシンボルとなり、ローマ教皇による禁止令や、社会の底辺の人々にストライプ模様の服を着せることことにつながったという。犯罪者や旅芸人、死刑執行人などがこの「差別服」の着用を強制された。そういえば今でもピエロは縞々の衣装を着ているが、あれはイスラム教徒の服に源流があったのである。
ちなみにその後、ストライプ模様は一転して新しい風俗の象徴となったり、フランス革命期には恐怖のシンボルとなったりとイメージがどんどん変遷している。同じ模様への印象が時代によってどんどん反転していくというのも、なかなか面白い。
もっと紹介したい「ネタ」はたくさんあるのだが、まあ、このへんにしておこう。デザインやビジュアルに興味のある方には声を大にしてオススメしたい。今まで単なる図形と見えていたもののその奥に、圧倒的なイメージの奔流が見えてくる。