【2054冊目】グレゴリー・ベイトソン『精神と自然』
- 作者: グレゴリーベイトソン,Gregory Bateson,佐藤良明
- 出版社/メーカー: 新思索社
- 発売日: 2006/11
- メディア: 単行本
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その1:美術学校での講義。
ベイトソンは2つの紙袋を持参した。1つの紙袋から出したのは、ゆでたてのカニ。そして生徒に問うた。「この物体が生物の死骸であるということを、私に納得のいくように説明してみなさい」 次に、もう1つの袋を開けると、今度は大きな巻貝の殻が入っている。次の質問は当然「この螺旋状の巻貝が生き物の部分であったということが、どんな徴(しるし)からわかるか?」
その2:誰もが学校で習うこと。
(1)科学は何も証明しない。
(2)地図は土地そのものではなく、ものの名前は名づけられたものではない。
(3)客観的経験は存在しない。
(4)イメージは無意識に形成される。
(5)知覚された世界が部分と全体に分かれるのは便利であり、必然なのかも知れぬが、その分かれ方の決定に必然は働いていない。
(6)発散する連続は予測できない。
(7)収束する連続は予測できる。
(8)「無から有は生じない」
(9)数と量とは別物である。
(10)量はパターンを決定しない。
(11)生物界に単調な価値は存在しない。
(12)小さいこともいいことだ。
(13)論理に因果は語りきれない。
(14)因果関係は逆向きには働かない。
(15)言語は通常、相互反応の片側だけを強調する。
(16)「安定している」「変化している」という語は、われわれが記述しているものの部分を記述している。
その3:引用。
「説明とはトートロジーの網を張っていく作業である」
「寄せ集めた部分の和が全体より大きくなるのは、部分の組み合わせが単なる加法ではなく、乗除ないしは論理積の形成に似た性格をもつからである」
「精神はその中に何者も含まない――豚も人もサンバガエルも。あるのは観念(差異の情報)だけである」
「関係とは常に、二重記述の産物である」
「われわれに知り得るのは観念のみ、他には何一つ知り得ない」
その4:キーワード
論理階梯
ジェネティックとソマティック
ストカスティック
リニアルとリカーシヴ(直線的と再帰的)
フィードバックとキャリブレーション
メッセージとメタメッセージ
その5:まとめ
世界は分断されてはいない。では、かかる世界をわたしたちはどう認識するのか。