自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1127冊目】島田雅彦『徒然王子』

徒然王子 第一部

徒然王子 第一部

徒然王子 第二部

徒然王子 第二部

舞台はほとんど現代の日本と重なっているが、微妙にズレている。主人公テツヒトは王家の末裔で、首都の真中にある憂愁の森に住み、悩みと不眠を抱えている。国は没落に向かって進んでいるのに、自分にはなすすべがない。そこで王子は、元お笑い芸人の従者コレミツを従えて旅に出ることを決意する。「深いところに埋まっている記憶を掘り起こし、最初の原則に戻る」ために……。

本書は朝日新聞に1年以上にわたり連載された。あからさまに日本の皇室や皇族が二重写しになっている冒頭の展開に、これが新聞連載になったとは、と驚いたが、そこに著者の、今の日本を正面から捉える覚悟のようなものが投じられていることは伝わってきた。

第一部では、テツヒトはコレミツとともに現代の日本をめぐる旅に出る。印象的なのは社会から見捨てられた人々が集まり、暮らす「ホープレス・タウン」。それはある種、今の日本で目に見えづらくなっている貧困や「棄民」の現状をリアルに可視化したものとなっている。

そこで展開される現代日本への痛烈な皮肉もキツイが、なんといってもこの物語の本領は第二部だろう。そこではなんと、テツヒトは時間をさかのぼり、おのれの前世をたどる旅に出るのだ。描かれるのは、徐福の配下として、秦の始皇帝のため不老長寿の妙薬を求め縄文時代の日本を訪れる「第一の前世」。那須の与一の弟として源平の合戦に巻き込まれる「第二の前世」。イエズス会宣教師の通訳として秀吉や利休に会う「第三の前世」。そして江戸時代の遊び人として珍道中を繰り広げる「第四の前世」。

一見とりとめのない組み合わせだが、その歴史的な重なりの上に、現代の日本が透けて見えてくるから面白い。前世を巡る旅は、王子が日本の現在を、歴史的に認識するためのプロセスでもあった。面白いのはそれがほとんど、オーソリティーの側から見た日本ではなく、むしろ敗者や異人などから見た日本であったことだ。じっさい、後日、著者はこう語っている。

徒然王子は中国から大量の移民が押し寄せた縄文末期、源平合戦の時代、天下人たちの戦国時代、そして江戸末期と時代の転換期ばかり選んで、生まれ変わった。この国の未来に責任のある王子だからこそ、熾烈(しれつ)な時代を生き抜いた前世を思い出さなければならなかったのだ。生き残りに必死な時代にあっても、王子は争いを避け、滅びゆく者たちとの共生を望んだ。日本は本来、弱者に優しい、多様性の王国だったのである。近代以後、欧米の原理に過剰適応することで、文化多様性を失ってしまったが、今はまたそれを取り戻すべき時だ。」(「新聞小説連載『徒然王子』を終えて」)

そしてテツヒトはホープレス・タウンに戻ってくる。しかし、そこは「ホープ・タウン」と名を変えている。希望のないどん底こそが次なる希望の種であり、再生の拠点であるということなのか。本書は、日本の歴史と現在をめぐる壮大な寓話である。そして、そこには寓話でしか語りえない日本の真実が、小説的に活写されているのである。素晴らしい小説体験だった。