【1821冊目】諸富徹編『日本財政の現代史2 バブルとその崩壊』
日本財政の現代史2 -- バブルとその崩壊 1986~2000年 (「日本財政の現代史」全3巻)
- 作者: 諸富徹
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2014/06/14
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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こないだ読んだ『土建国家の時代』に続くシリーズ2冊目。バブル絶頂期の1986年から、小泉政権登場直前の2000年までを扱っている。
序章で諸富氏が述べている「後退戦」というフレーズが、この期間の日本財政のすべてを言い表している。そして、この「後退戦」は、日本財政にとって無残な負け戦でもあった。本書はその「負けっぷり」に対して、さまざまな方面から光を当てた一冊といえる。
特にバブル崩壊後、不良債権処理を正面からやらなかったことが致命的だった。1990年当時の首相だった宮沢喜一は「公的資金を注入してでも不良債権を根本的に処理しなければ、景気回復はない」と発言したという。これは今から見ればきわめてまっとうな見解である。だが当時、金融界の猛反対でこの「まっとうな発言」は封殺された。
「こうして問題の根本治療が回避されたまま、公共事業を中心とする緊急経済対策と減税政策が繰り返された。たしかに景気浮揚策は、経済が奈落の底に落ち込むのを何とか下支えしたかもしれない。しかし結局、それは景気上昇をもたらさなかったし、巨額の公債残高をうず高く積み上げることにつながった」(p.3)
しかもこの時期は、日本社会が高齢化社会・高齢社会に移行しつつある時期でもあった。1989年には合計特殊出生率が1.57に低下した「1.57ショック」が大きく報じられた。さらに1990年代、不況下で企業のリストラが進み、事実上日本の福祉を支えてきた終身雇用制度が崩壊しつつあったことも大きい。ここでも日本は、変容しつつある社会に対応した社会保障制度を打ち出せなかった。これもまた一種の「負け戦」であったといえよう。
しかし、それにしてもなぜ、これほどまでに巨額の財政赤字が積み上がってしまったのか。ここで重要なのが、第1章で野口剛氏が書く「日本の財政には財政支出を規律づけるメカニズムが組み込まれていない」という、ある意味ミもフタもない指摘である(p.36)。これに続く「日本の財政法などは裁量的な政策発動を前提としており、それを担保するために財政内部に規律づけを図るようなメカニズムが組み込まれていないのではないか」(同頁)というフレーズなど、かなり核心を衝いているように思われる。
一方、公共投資については、外部的な影響も見逃せない。特に日米構造協議の影響は大きかったようだ。アメリカは貿易収支の黒字を縮小させるため「長期にわたる公共投資と民間消費の拡大」を図ろうとした。特に、公共投資による生産力の拡大がアメリカを脅かさないよう「輸出の増大につながらない公共投資の拡大に強く固執」、国内の生活・文化環境改善に関する公共投資の割合を増加させたというくだりは、そこまで踏み込むのか、と驚かされた。日本の国際競争率を削ぎつつ内需拡大を実現するという、なんとも一方的なプランが、しかしバブル崩壊後の日本ではあっけなく実現してしまったのである。
他にも本書には、自治体職員には密接な関係のある地方自治体における地方債や公共投資の状況、付加価値税(消費税)の国際比較など、幅広い観点からの記述がなされており、バブル崩壊後の「後退戦」の負け具合は、実はいろんな要素がかなり複雑に絡み合っていることが分かる。だが、やはり問題は、時代や社会の変化に対応した思い切った方向転換ができず、ずるずると小出しに対策を打ち出すことでかえって事態を悪化させたことにある。
考えてみれば、負け戦こそ、思い切った思考の切り替えと、ある程度の「損切り」が必要なのだ。しかし、いつぞやの戦争と同様に、日本はこの時もそれができなかった。その結果が現在に続く巨額の財政赤字なのだから、なんともため息が出る話である。