【1044冊目】中井英夫『虚無への供物』
- 作者: 中井英夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/04/15
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以下の内容が「ネタバレ」にあたるのかどうか、ちょっと自信がないのだが、気になる方はご注意ください。念のため少し下げときます。
いつも思うのだが、いわゆる「本格推理小説」の世界は、ある種のユートピア的世界である。そこに起きる「死」は図式化され、実際の死の重さや哀しさがキレイに取り払われている。幻想的な仕掛けやまがまがしい雰囲気にもかかわらず、すべての要素は最後に論理的に解決される。どろどろした世俗の生臭い世界は、そこにはほとんど介入してこない。読み手は、殺人というもっとも陰惨な行為であっても、それをある種の図式的なお約束として通過することができ、安心して論理と推理の世界に浸ることができる。
本書はその「ユートピア」的推理小説世界の極限を展開してみせる。密室が4つも登場し、何人いるのかもはや分からない探偵役の推理合戦が行われる。飛び交う古今東西のミステリ論、密室論。さらには人名と部屋と誕生石とお不動の「色」の符合、真犯人を暗示する経文やシャンソン、意味深な数々の小道具……まあとにかく、これでもかとばかりに展開される絢爛豪華なミステリ・ワールドなのだ。
そして訪れる大団円……のはずが、ここで読者は度肝を抜かれる。普通のよくできた推理小説では、真相が明らかになる場面では、それまでの混沌とした状況が、良く切れる刀ですぱっと斬られたように一目瞭然となる。ところがこの小説は、そこが大きく違う。大団円では、事実が一刀両断となるかわりに、読者自身が重い重い鈍器で殴られたような衝撃を味わうことになるのだ。
それまでのぺダンティックな推理合戦も、見るからに意味深な色や歌の符合も、そのほか普通の推理小説では「伏線」となるはずのものが、別の意味での「裏の伏線」となり、至高の推理小説であったはずが、未曾有の「反推理小説」に一転する。そして、安全地帯にいるはずのわれわれ読者に、それまで作品の中に閉じ込められていたはずの刃が向けられることになるのだ。まったく、なんという小説か。それまでの本格推理の極北でありながら、さらにその先、あるいはその裏側へと足を踏み出している。
「何か面白いことはないかなあとキョロキョロしていれば、それにふさわしい突飛で残酷な事件が、いくらでも現実にうまれてくる。いまはそんな時代だが、その中で自分だけ安全地帯にいて、見物の側に廻ることが出来たら、どんな痛ましい光景でも喜んで眺めようという、それがお化けの正体なんだ。おれには、何という凄まじい虚無だろうとしか思えない……」