自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2794冊目】桐野夏生『日没』


「社会に不適合」とされる作家を収容し、矯正させる施設が舞台のディストピア小説です。


監禁され、支配される恐怖が、とにかくこれでもかとばかりに描かれます。特に食事やトイレなどの生活のディテールがおそろしくリアルで、読むだけでも精神的に追い詰められ、「助けてください」と叫びたくなります。


そんな中でも作家としての矜持を曲げず戦う主人公のマッツ夢井は、著者自身の投影でしょうか。まあ、考えてみれば、反社会的とされる小説や、著名人への発言へのバッシングが繰り返され、「炎上」によって簡単に社会的に抹殺されてしまう現代社会こそ、本書で描かれた収容施設そのものなのかもしれません。そもそもマッツ夢井が収容されたきっかけも「読者からの告発」なのですから。


物語自体は、とにかくまったく先が読めないので、これ以上は書かないでおきましょう。ただひたすら、桐野夏生ストーリーテリングに酔ってください。


最後までお読みいただき,ありがとうございました!

【2793冊目】しりあがり寿『方舟』


降り続く雨。

水位は次第に上昇し、

家が、ビルが、人が、

少しずつ水に沈んでいく。


不安を直視できず、バカ騒ぎを続けるテレビ。

棒読みの「公式発表」を繰り返す政府。


そんな中、突然出現する「方舟」。

ハミガキのキャンペーンのために作られた舟に、大勢の人が殺到する。


しかし、食べ物も水もなく、

舟の上にいる人たちもまた、次々に死んでいくのだ。


聖書に描かれたノアの方舟は、

信心深いノアの家族を救うが、

しりあがり寿の描く終末では、誰も救われない。


長い雨がやみ、

死体が転がる舟の上に、広がる星空。

水底のビル街を漂う、人々のむくろ。

未来が失われた人類のために描かれた、とびきり美しい終末の光景を描いたのだと、

しりあがり寿は、本書の「あとがき」で書いている。


さよなら、人類。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

【2792冊目】瀬尾まいこ『夜明けのすべて』



以前から気になっていた本です。障害がひとつのテーマと聞いていたので、ぜひ読まねば、と思っていました。


主人公は、PMS月経前症候群)の藤沢さん、パニック障害の山添くん。二人とも、周囲になかなか理解されない障害を抱え、そのため勤めを辞めたり、生活が大きく変わったりしてきました。


そんな二人が出会い、お互いのことを知るうちに、相手だけではなく、自分自身のもつ障害についての理解も深まっていくところが面白いです。そして「2年間笑ってこなかった」山添くんは藤沢さんのおかげで笑うようになり、月経前になると怒りをコントロールできない藤沢さんは、山添くんによって対処の仕方を学びます。


大事なのは、二人とも、お互いの障害を「克服させよう」とか「乗り越えさせよう」などとは思っていないこと。なぜって、そんなのは到底無理であることを、二人こそが一番よく知っているからです。そうではなく、自分のもっている障害への対処の仕方を学ぶ、言い換えれば「障害と付き合う」あり方を、二人はお互いから学びます。それによって、二人は少しずつ自由になり、苦しい日々が少しだけ楽になるのです。


そんな二人が勤める「栗田金属」の環境も素晴らしいです。「無理なく事故なく」がモットーで、向上心やらイノベーションにも縁がなさそうですが、実はものすごくお互いのことを気にかけ、フォローしあっている。世の中がこういう会社ばかりだったら、障害者の法定雇用率なんて仕組みはいらなくなるのかもしれません。


最後までお読みいただき,ありがとうございました!

【2791冊目】乙一『銃とチョコレート』


ロイズ。ゴディバリンツ。ドゥバイヨル。モロゾフ。ブラウニー。ガナッシュ。共通点は何か、わかりますか?


答えは、チョコレート。どれもチョコのブランドか、チョコを使った菓子の名前です。そして、これらはすべて、本書の登場人物の名前でもあります。この小説の登場人物は「チョコがらみ」なのです。さらに言えば、出てくる地名もチョコ関連。徹底しています。


主人公の少年リンツは、亡き父の形見の聖書から出てきた一枚の地図がきっかけで、名探偵ロイズと怪盗ゴディバの戦いにかかわっていきます。ところが、展開は意外に意外を重ね、予想は次々に裏切られます。正しいと思っていたことが裏切られ、子供時代の純粋な思いは、ほろ苦い大人の現実の前で打ち砕かれます。それでもやはり、少年リンツは自らが正しいと思うことのために、自らの足で立ちあがり戦うのです。


本書はミステリというジャンルで括られますが、本質は児童文学だと思います。子供時代に別れを告げ、大人の世界との境目で、自分だけの戦いの場と、大切な人を発見していく、という意味で、そうなのです。乙一がこんな作品を書いていたことに驚きましたが、展開の仕方やキャラクターの描写はさすがにうまいです。特にドゥバイヨルという少年の描き方は素晴らしいです。人種差別主義者で乱暴者でありながら、後半になるに従って、奥に秘めた矜持や強さが見えてくる。お見事です。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

#読書 #読了

【2790冊目】秋田麻早子『絵を見る技術』


「君は見ているけど、観察していないんだ、ワトソン君」


シャーロック・ホームズの名台詞が冒頭に掲げられているのは、ダテではない。本書が解説しているのは、絵を「観察するように見る」ための手法である。


実際、本書を読み始めてすぐに、今まで自分がいかに絵を漫然と見てきたかを思い知らされた。絵の主役「フォーカルポイント」への着目、そこからの視線の動きを誘導する仕掛け、バランスをとるために置かれたアイテム、色の組み合わせ、そして周到に仕組まれた構図。名画と呼ばれるような絵ほど、偶然の一致ではとても済まされないくらい、驚くべき仕掛けに満ちている。


もっとも、こうしたことの多くは本来、われわれが無意識のうちに感じていることだ。本書はそれを意識化しているにすぎないのだが、それでも、意識して見ることで、絵画鑑賞の愉しみが数倍になることは保証する。


思えば今までは、絵の横の「解説」ばかりを気にして、絵そのものに向き合えてこなかったのかもしれない。なんともったいないことか。せめて今度からは、絵そのものに身を委ね、そこに隠された美の法則を探すようにしてみたい。


最後までお読みいただき,ありがとうございました!