自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2471冊目】葉真中顕『ロスト・ケア』

 

ロスト・ケア (光文社文庫)

ロスト・ケア (光文社文庫)

  • 作者:葉真中 顕
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2015/02/10
  • メディア: 文庫
 

 

デビュー作というのが信じられないほどの、重厚な社会派ミステリー。超高齢社会を迎えた現代の日本のありようを、迫真のリアリティで描き出す。

「地獄の底」と形容されるほどの、家族介護の壮絶な実情。精神的にも肉体的にも追いつめられた果てに起きるのが、悲惨な虐待だ。本人も生き続けることに絶望し、家族も罪悪感と義務感に引き裂かれながら、それでも介護を続けるしかない現実。そこから本人と家族を救うはずの介護保険制度は、度重なる制度改正で事業所の経営が圧迫され、そこで働く人々はギリギリの低賃金で過酷な仕事をこなす。本書で描かれる世界は、まぎれもなく今の日本の現実そのものだ。

そして、著者はそこからさらに先に踏み出す。そんな「地獄」にいる人たちを救うため、老人を次々と殺す≪彼≫の存在だ。その行為は、正義か、悪か。悪だとすれば、それによって救われる家族のことをどう考えるべきなのか。そのような状況に家族を、本人を追い込む社会システムこそが、ほんとうの「悪」ではないのか。こうして本書は、人を殺すことの善悪についてさえ、もっとも深いところから問いかけてくる。

本書は「答え」を提供するものではない。むしろ「問い」を発するものであり、だからこそ社会派ミステリーなのだ。とはいえ、そのために43人もの高齢者を殺害する必要があったのかといえば、その点は疑問。矛盾を世に訴えるためであれば、10人、あるいは1人でも可能だったはずである。一方、要介護状態の高齢者を殺すこと自体を正義と任じているのなら、例えば相模原障害者殺傷事件の犯人が行ったことや、ナチスドイツの主導のもと行われた障害者安楽死政策も正義だったのか。介護によって苦しむ家族を救うのが大義名分であれば、例えば強度行動障害のある自閉症の人や、家の中で暴れる精神障害者の家族についてはどうか。ひきこもりの息子を殺害した父親は、正義か、悪か。

いや、やはり≪彼≫のなしたことは悪なのだと思う。ただし、≪彼≫はそのことを十分に承知の上で、悪をなしたのだ。その意味で、≪彼≫が「自分のしたことは正しかった」と述懐するのはおかしい。むしろ≪彼≫は「自分のしたことは悪だった。しかし、あえて私は悪をなしたのだ」と言うべきだったのだ。そうすれば、あえて罪を背負った≪彼≫にイエスの姿が重なり、パーフェクトな結末を迎えることができたろう。その一点において、本書はわずかに甘さが残る。

【2470冊目】ウィリアム・シェイクスピア『マクベス』

 

マクベス (新潮文庫)

マクベス (新潮文庫)

  • 作者:シェイクスピア
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/09/02
  • メディア: 文庫
 

 

 

言わずと知れたシェイクスピア四大悲劇のひとつである。本文わずか112ページ。だがその中に、人類の体験しうるもっとも深く、もっともおぞましいドラマが濃縮されている。

王を殺し、罪を重ねるマクベスは間違いなく「悪」である。だがその悪は、意思に基づくものというより、周囲に流される種類の悪であった。妻にそそのかされて王を殺し、魔女の予言に振り回されて王位を簒奪する。だがそれゆえに、マクベスは罪深い。

予言によって王となったマクベスは、予言の通り破滅する。森が動き、女から生まれなかった者がマクベスの命を奪うことは当初から予想できるが、いったいどのようにそれが現実化するのか。そして、人はどこまで運命に縛られ、どこまで自らの意志を全うできるのか。もっとも「女から生まれなかった者」は、「女の股の間から生まれなかった者」とすべきなのだろう。格調高い福田恆存訳にケチをつけるわけではないけれど。

【2469冊目】岡田哲『明治洋食事始め とんかつの誕生』

 

明治洋食事始め――とんかつの誕生 (講談社学術文庫)

明治洋食事始め――とんかつの誕生 (講談社学術文庫)

  • 作者:岡田 哲
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/07/11
  • メディア: 文庫
 

 

いきなりですが、クイズです。次の料理を、誕生した順番に並べて下さい。いずれも明治維新以降の日本人が作り上げた傑作です。

とんかつ/カツ丼/カツカレー/ポークカツレツ/ハム/牛丼/牛肉のすき焼き/あんパン

答えは次のとおり。登場順です。

◆牛肉のすき焼き
 1869年(明治2年)神戸元町に牛肉すき焼き店「月下亭」が開店。ちなみに関西風のすき焼きは、割り下を入れずに油脂のみで肉を焼く。関東に伝わったのは関東大震災以降で、もともとあった牛鍋が変形融合し、割り下をたっぷり入れて煮込むようになったという。ちなみに生卵をつけて食べるのは関西風すき焼きが由来。さらに言えば、「すき焼き」自体は江戸時代にすでに見られ、鳥肉、魚肉、鯨肉などが使われた。

◆ハム
 長崎の片岡伊右衛門アメリカ人ペンニスにハム製造を学んだのは1872年(明治5年)。だが、実際にハム製造を始めたのはイギリス人ウィリアム・カーティスが最初である。1874年(明治7年)、神奈川県鎌倉郡川上村のことであった。今の鎌倉ハムのルーツである。

◆あんパン
 あんパンを生んだ木村安兵衛の名前は知っている人も多いだろう。東京の職業授産所で事務員をやっていた木村は、なんと50歳を過ぎて退職、未経験のパン作りに転じる。酒まんじゅうをヒントに発案した「あんパン」の製造に成功したのは、1874年(明治7年)。6年に及ぶ苦節の末であった。脱サラシニアの鑑といえよう。ちなみにパン自体は鉄砲と共に種子島に伝来した。「パン」はポルトガル語なのである。そういえば英語では「bread」っていいますよね。

◆牛丼(牛めし
 1887年(明治20年頃、牛のコマ切れにネギを入れて煮込み、どんぶり飯にぶっかけた「牛めしブッカケ」が登場する。案外古くからあったことに加え、そのレシピが今とあまり変わっていないことに驚かされる。

◆ポークカツレツ
 カツレツの語源である「コートレット/カットレット」は、小牛や豚などの骨付きの背肉のことであり、それを使って「塩・コショウをして、コムギ粉、卵黄、パン粉をきせて、バターで両面をキツネ色に焼き上げた」料理のことでもある。ポークカツレツの嚆矢は今も残る洋食店の老舗「煉瓦亭」が1895年(明治28年に提供したものとされている。

◆カツカレー
 1918年(大正7年)、東京浅草の「河金」がカツカレーを考案、売り出した。とんかつより時期が早いのは、当時はポークカツレツを使っていたから。「河金丼」と名付けられたこのメニューが大ヒットしたのは、すでにカレー好き、カツ好きの客がたくさんいたということなのだろう。

◆カツ丼
 1921年(大正10年)、早稲田高等学院の学生であった中西敬二郎が、行きつけの店で皿の飯をどんぶりに移し、その上にカツを切って乗せて、ソースとメリケン粉を合せたものをかけてみせた。カツ丼の誕生である。ちなみに、それに先立つ1913年(大正2年)に考案された「ソースカツ丼」が先という説もあるとのこと。

◆とんかつ
 本書で「洋食の王様」と呼ばれるとんかつの誕生は、案外遅く1929年(昭和4年)。東京上野の「ポンチ軒」の島田信二郎が売り出したことによる。ちなみにポークカツレツとの違いは、薄い肉に衣を着せて炒め焼きにしたのがポークカツレツ、分厚い肉に衣をつけて揚げたのがとんかつだ。

 

 

さて、こんなわけで、明治以降の日本は革命的ともいえる食事環境の変化に見舞われたのであるが、そもそも日本では、なんと1200年にわたり、公式には肉食が禁じられていた。特に牛や馬などの家畜を食べる文化は、明治になるまでほとんどなかったようなのだ。その背景にあるのは仏教伝来に伴う「殺生戒」(本書には明示されていないが、そう考えると、明治において廃仏毀釈が行われたことと肉食の解禁も関係しているのだろう)。初めて見る西洋人の背の高さや恰幅の良さも、食を改善して栄養を高めなければ、との危機感を煽ったようである。

特に軍隊では食事の改変が大きく進んだ。海軍はパン食を始め西洋料理の導入を大きく進めた(そういえばカレーも海軍だ)。一方、陸軍は従来通りの握り飯にタクアンであったという。本書には陸軍軍医でもあった森鴎外による米食擁護の文章も載っているが、このあたりの陸軍と海軍の亀裂が、いずれ日本の運命を大きく変えていくのである。

論じ方に不満が残る箇所、不足を感じる箇所もあったが、総じて言えば、さまざまなエピソードを交えつつ、「洋食」の歴史と共に、近代日本が歩んだ道そのものの明暗を描き出している。もちろん雑学の宝庫としても、十分に楽しめる一冊だ。

 

 

【2468冊目】柏木亮二『フィンテック』

 

フィンテック (日経文庫)

フィンテック (日経文庫)

 

 

金融の世界に、今とんでもないことが起きているらしい。電子マネーからスマートフォンバンキング、クラウドファンディングP2Pレンディング、人工知能による与信モデルに仮想通貨まで、フィンテックファイナンス+テクノロジーの最前線を総覧する一冊。もともとは2016年の刊行だが、基本的な部分はおそらく今でも通用する。

キーワードは「イノベーションのジレンマ」と「破壊的イノベーション」。いずれもクレイトン・クリステンセンという人の造語である。クリステンセンによれば、イノベーションにはこれまでの延長線上に生まれる「持続的イノベーション」と、これまでとまったく違ったところから誕生する「破壊的イノベーション」があるという。破壊的イノベーションの多くはベンチャー企業から生まれ、最初はその質の低さゆえ巨大企業からは無視、軽視されるのだが、巨大企業からは相手にされない層をターゲットとして取り込み、勢力を拡大して巨大企業を飲み込んでしまう。

金融で言えば、低所得層向け、ベンチャー企業向け、あるいは新興国向けのサービスがこれに該当する。個人と個人のお金の貸し借りをマッチングするP2Pレンディング、ベンチャー企業の資金をファイナンスするクラウドファンディング、銀行口座がなくても送金や決済ができるケニアのエムペサなどが該当する。

既存の金融機関にとっては脅威だろうが、それまで無視してきた層を支えるサービスが、大手の金融機関を飲み込んでいくのは、傍から見ていて痛快だ。そのゴールとなるのは、誰もが金融サービスの恩恵にあずかれる「金融包摂」(フィナンシャル・インクルージョン)。銀行中心の金融システムとはまったく違う世界が、すぐそこに開けているのである。

【2467冊目】川北稔『8050問題の深層』

 

8050問題の深層: 「限界家族」をどう救うか (NHK出版新書)

8050問題の深層: 「限界家族」をどう救うか (NHK出版新書)

  • 作者:川北 稔
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2019/08/30
  • メディア: 単行本
 

 

「ひきこもり」「8050問題」の現状を、データ、具体例、問題点、解決策にわたり、コンパクトかつバランスよく捉えた一冊。福祉関係者にも、当事者やその家族にも「最初の一冊」としておススメしたい。

言うまでもなく「8050問題」とは、80代の親と50代の(無職だったりひきこもっていたりする)子どもの組み合わせをいう。だがもちろん、問題は今になって生じたわけではない。それまで何年も何十年も家族の中で抱え込んできた問題が、親の高齢化によって限界に達し、外にあらわれざるを得なくなる臨界点が「8050」なのだ。

そもそも、本来は子に養われるべき存在である70代、80代の高齢者が、部屋に閉じこもられ、場合によっては暴力を振るわれながら、壮年の子を養っているという状況自体が尋常ではない。その背景にあるのは「いくら高齢になっても、たとえ子どもから自分には対応できない暴力を受けていても『親であることを降りられない』心理である」(p.19)と著者は指摘する。ちなみに近隣諸国との比較でみても、日本は「老親が子どもを支える規範が強い国」に分類されるという(p.165)。

かつての日本であれば、そもそも家族は今ほど閉鎖的ではなく、地域共同体に組み込まれた存在だった。それが戦後の高度成長期にあって核家族化が進み、いわば家族のカプセル化が進行した。そこでは親は子に、子は親にそれぞれ強く依存せざるを得ない。いわゆる「親子共依存」であるが、本書はそこから、依存を断ち切るのではなく、むしろ依存先を増やすことを提案する。熊谷晋一郎氏が提唱する「依存先の分散としての自立」という概念がそのベースにある。

従来の引きこもり支援は「家族→本人」の順に支援を行っていた。だが本書は、個人を単位として多様な支援を組み合わせる「包括的支援」を提唱する。一般にひきこもり支援として言われがちな「就労支援」はその一部にすぎない。経済的支援、メンタルヘルス支援から趣味やボランティアによるつながりまで、多様な支援=依存先のネットワークを、本人を中心に形成していく。たくさんの支援先があれば、ひとつがうまくいかなくてもさほど気にする必要はない。趣味のつながりをきっかけに社会参加が進むケースもあれば、家の中にこもっていても経済的に自立できるということだってある。

ただし、こうした支援には、個別の支援先と本人や家族をつなげるコーディネーター役が必要だ。そこで登場するのが「伴走型支援」というあり方だ。本書では、NPO法人オレンジの会で伴走型支援を展開する山田孝介氏による事例が紹介されている。実際のひきこもり支援のリアルな現場を伝えてくれる、たいへんに示唆に富むレポートだ。