自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2362冊目】マーガレット・アトウッド『オリクスとクレイク』

 

オリクスとクレイク

オリクスとクレイク

 

 

崩壊後の世界と思われる光景。唯一の生き残りらしき「スノーマン」をとりまく、奇妙で人工的な子どもたち。なぜ世界が崩壊したのか、そこにいる(あるいは、ある)奇妙な存在は一体何なのか。謎は少しずつ、ほんのわずかずつ明かされるので、うかうかしていると読み過ごしてしまいそうだ。

カギを握るのは、スノーマンの子ども時代を描くもう一つのパート。そのころは「ジミー」と呼ばれていた男の子は、クレイクという天才的な男と出会う。そして、児童売春をさせられているとおぼしき女の子、オリクス。だが、ジミーたちの世界もまたある種のディストピアだ。ジミーらが住む「オーガン・インク・ファームズ」はどうやらゲーテッド・コミュニティのようなところらしい。その外側に広がる「都市」は「ヘーミン地」と呼ばれ(平民地?)、「公共の安全に穴がある」とされる。ヘーミン地からオーガン・インク・ファームズへの侵入を防ぐための警備兵が「コープセコー」だ。

成績優秀な科学者となったクレイクのたくらみとは何なのか。ジミーの世界はなぜ崩壊し、ジミーはスノーマンとなって崩壊後の世界をさまようことになったのか。起こったことは徐々に示唆されるだけで、全貌はラスト近くになるまで明らかにされない。しかし、ジミーの住む殺伐とした近未来よりは、何もかもなくなったスノーマンの世界のほうが、どこか救われているような気がするのはなぜだろうか。

 

【2361冊目】唐木順三『千利休』

 

千利休 (筑摩叢書 6)

千利休 (筑摩叢書 6)

 

 インスタグラムからの転載。


誰もが名前は知っているが、ではいったい何者だったのかと考えると、案外掴みづらいのが千利休という人物だ。本書はその正体を、能楽や禅というルーツ、堺という商人都市の出自、信長や秀吉との関係、その背後にある時代の様相などを重ね合わせるようにして、立体的に浮かび上がらせた一冊だ。

利休の生きた時代は、思えば日本が急激に変化した時代であった。信長は、近世を飛び越えて近代的ともいえる進歩的精神をもち、秀吉は、日本史上異例ともいえる豪壮華美を好んだ。その秀吉が、対極ともいえる2畳半の「わび」の世界に生きた利休を、なぜ切腹させたのか。

「わびは対比において始めてその存在理由をもつ」と著者はいう。秀吉の派手があってこそ、利休のわびも存在した。それゆえ、利休のわびは秀吉を超え得ないという宿命をもっていた。利休はあるいは、秀吉の影のようなものであったのかもしれない。実際、秀吉が華美を極め、豪壮を極めれば極めるほど、利休の茶室はどんどん小さくなり、その内容は無限に近いほど凝縮されていったのである。

【2360冊目】イ・サンヒ&ユン・シンヨン『人類との遭遇』

 

人類との遭遇:はじめて知るヒト誕生のドラマ

人類との遭遇:はじめて知るヒト誕生のドラマ

 

 

気鋭の自然人類学者が一般向けに書いたエッセイがもとになっているらしいが、ものすごく面白い。人類学というもの、さらには人間というものに対する見方が大きく揺さぶられる一冊だ。

例えば、人間が大きな脳をもっていることと、人間の社会性の関係をご存知だろうか。頭がいいから他者と関係を結べるため、ではない。大きな脳=大きな頭のため人間の出産は困難をきわめ、病院での出産が一般的になる前は、他の人間(多くは女性)の助けを必要とした。産後も母親はすぐ起きて動けるわけではないので、親族の女性たちが日々の雑事を手伝ったという。社会性なくして、「大きな頭の赤ちゃんを産み落とす」ことはできないのだ。「人類はその系統が始まったときから他者を必要としている」(p.72)と著者は言う。男性より女性の方が社交性が高いように思われるのも、このあたりの事情が関係しているのかもしれない。

ついでにもうひとつ、脳の話。大きな脳は大量のカロリーを必要とする。では、人間は脳が大きくなったから、カロリーを求めて肉食を開始したのか。本書によると、どうもそうではないらしい。

260万年前から1万2000年前、長期間にわたり乾燥化が進んだアフリカでは、森が減って草原が広がり、植物性の食べ物が乏しくなった。「パン(野菜)がないならケーキ(肉)を食べればいいじゃない」って? でも、当時存在した人類の祖先はせいぜい体長1メートル程度。動物を狩るのは無理な話。ライオンが食べ残した肉だって、ハゲワシやハイエナに食べられてしまう。

残っているのは、骨だけだ。だが、骨のなかにも骨髄という栄養たっぷりの食糧源がある。問題は骨を砕いて骨髄を取り出す方法だ。ここで彼らが選んだのが「石器で骨を叩き割る」というものだった。こうして石器を使って骨髄から栄養を取ることを覚えた人類の祖先たちは、結果として高カロリーの食物によって脳を大きくすることができたという。

実際、生きた獲物を狩猟する段階に達したのは「人類進化史のかなり後のほうだった」(p.83)ことがわかっている。いずれにせよ驚くべきは、「頭が良くなったから道具を使えるようになった」のではなく「骨髄を入手するため道具を使わざるを得なかった」「道具を使って高カロリー食を手に入れた結果、頭が良くなった」という逆転の構図である。

人類の知性の高さには「皮膚」も貢献している。そもそもなぜ人類には毛がないのか。著者は、何らかの変異で体中の毛がごっそり抜けた人類の祖先がいたのではないかと推測する。脱毛によって、大量の発汗で余計な体熱を逃がすことができるようになり、アフリカの暑い日中に適応することができたのだ。ただ問題は、体内の水分が大幅に失われるため、飲み水探しの重要性が格段に増したこと。そこで、水場の情報を記憶し、伝達する能力が重要になった。

他にも、キングコングのような「大型人類」がかつて存在した可能性や、人類が牛乳を飲めるようになってまだ一万年程度という話、農業が人口爆発をもたらしたのは死亡率が改善したからではなく、定住によって「出産と次の出産の間が縮まった」ことによるという指摘(むしろ死亡率は農業によって増加した)、ある意味いちばんびっくりの「北京原人の骨を日本のヤクザが持っているという噂」(骨がホンモノだと「鑑定」してほしいと頼まれたそうだ)など、気になるネタはたくさんあるのだが、ここでは本書のいわば「決め」のくだりを最後に紹介したい。

それは「多地域進化説」。人類の祖先はアフリカの一か所で発祥して世界中に広まったのではなく「各地のさまざまな集団があちこち移動しているうちに出会って遺伝的に混合してひとつの種として進化していった」(p.273)というものだ。

この仮説のポイントは、先行していたネアンデルタール人との関係にある。アフリカ起源説(完全置換説)では、人類はアフリカから移動した先で、ネアンデルタール人に置き換わった(というとマイルドだが、要するに絶滅させた)と考える。だが多地域進化説では、むしろ人類の祖先はネアンデルタール人などと交雑しながら移動を繰り返したと考える。後者である証拠に、わたしたちの遺伝子にはネアンデルタール人由来のパーツが「埋め込まれて」いるというのである。

仮説と発見に満ちた自然人類学の魅力を十二分に伝える、めったにない魅力的な一冊。人間がなぜ今のような人間になったか知りたい人は、ぜひ手に取ると良い。

 

【2359冊目】ドナルド・J・ソボル『2分間ミステリ』

 

2分間ミステリ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

2分間ミステリ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

インスタグラムからの転載。

71篇のショート・ストーリーの中に隠されたトリックや矛盾点を見つけ出す。子供の頃によく、犯行現場のイラストや説明をヒントに犯人を探せ、みたいな推理ゲームの本で遊んでいたが、本書はいわばその元祖みたいな一冊だ。

こういう遊びをやると、普段の読書がいかに「読み落とし」や「読み飛ばし」だらけであるかよくわかる。ボーっと読んでんじゃねえよ! とか言われそう。

あっと驚き思わず膝を打つ秀作から、ちょっと無理があるんじゃないかと思えるもの、あるいは特定の知識がないと絶対解けないものもあるので、ある程度考えてわからなかったらさっさと解説を読むことを勧めたい。

【本以外】どこで本を読みますか

本を読む場所と読む本の関係って、ふだん意識していますか。

 

本を読む場所としてよく言われるのが、「三上」だ。「枕上」「厠上」「鞍上」の3つが読書に最適とのこと。もともとは欧陽脩が言い出したもので、詩文を考えたり思索にふける場所、として挙げられたようなのだが、読書に転じて紹介されることも多い(柴田宵曲などが確か書いていたような。裁判官の倉田卓次も書いていたかな)。少なくとも私の場合、この3つが読書スペースとしてどんぴしゃにあてはまる。「鞍上」は馬に乗って移動している時ということなので、今でいえば移動中の電車の中ということになるか。

 

私についていえば、読書時間の8割くらいが電車の中だ。以前は「行き」と「帰り」で読む本を変えていたが(行きは頭を仕事モードにするため、仕事に関連した少し硬めの本。帰りは逆に、リラックスさせるため小説や軽めのエッセイ、など)、最近はそこまではやってない。移動中の本の重さはバカにならないし、むしろ出勤のときに仕事がらみの本を読み始めると、かえって自分の今抱えている仕事に頭を奪われてしまうからだ。ちなみに今読んでいるのは大澤真幸社会学史』。新書だがボリュームがあって、先週後半からずっと読んでいる一冊だ。

 

社会学史 (講談社現代新書)

社会学史 (講談社現代新書)

 

 

ちなみに、読みながら別のことを考えてしまうことは結構ある。本によっては、その状態のまましばらく読み進めてみて、後から理解度を図ってみることもあるけれど、たいていはいったん本を閉じて考え事のほうに集中する。一定の結論らしきものが出たら、スマホのメモ帳にその内容を打ち込んで、メールで職場に送信することで、なんとか頭を切り替えようとする。ちなみに仕事の帰りや土日に仕事上で気になることがある時も、この手はよく使う。ストレス軽減のための一種のライフハックだ。

 

話を戻すと、「枕上」つまり寝る直前は、詩集や俳句を眺めることが多い。以前コチラで紹介した『宮沢賢治詩集』『谷川俊太郎詩集』などはこの時間帯に少しづつ読んだ。最近はお気に入りの『西東三鬼全句集』や、歳時記をぱらぱらめくって目についた句を眺めることが多いように思う。面白過ぎる小説などは寝る前には危険。エッセイもいささか刺激が強いし、途中で読むのをやめるのは難しい。俳句の場合、一句読むごとに頭の中でイメージを転がして遊ぶので、どこでやめてもキリがよく、かえって寝つきもいいようである。

 

新編 宮沢賢治詩集 (新潮文庫)

新編 宮沢賢治詩集 (新潮文庫)

 

 

 

自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)

自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)

 

 

 

西東三鬼全句集 (角川ソフィア文庫)

西東三鬼全句集 (角川ソフィア文庫)

 

 

「厠上」は、なぜかマンガか読書術系の本が多い。これは理由を聞かれてもよくわからず、なんとなく自分の中で定着してしまっているので、これ以外の種類の本をトイレで開いているとなんとなく気持ち悪い。ちなみに電子書籍はほとんど利用していないが、マンガはけっこうスマホに入れているので(最近は「ジョジョ」を週1冊くらいの割合でダウンロードしている)、外出先のトイレでは電子版のコミックにお世話になることもある。自宅では『ゴルゴ13』あたりが多いかもしれない(ブックオフで100円のを買ったりして時々ストックしている)。読書術は松岡正剛佐藤優などが定番かな。

 

 

 

 

ゴルゴ13 193 血まみれのマハ (SPコミックス)
 

 

 

多読術 (ちくまプリマー新書)

多読術 (ちくまプリマー新書)

 

 

 

読書の技法

読書の技法

 

 

それ以外の時間については、平日の昼休みは基本的に本は読まない(なるべくならスマホもみない。頭を活字から切り離したいからだ)。夜は比較的長めの本を少しづつ読んでいることが多い。『源氏物語』『白鯨』のようなガチの長編小説や、モンテーニュ『エセー』、パスカル『パンセ』などはこうして読み切った。最近は、角川文庫から出ている松岡正剛『千夜千冊エディション』などをつまみ読む。『法華経』『維摩経』などの仏典もいい。入浴中も以前はいろいろ読んでいたが、最近は読み捨てるつもりで買った雑誌をパラパラやっていることが多いかな(大事な本だとふやけてタイヘンなことになる)。

   

 

 

 

サンスクリット版全訳 維摩経 現代語訳 (角川ソフィア文庫)

サンスクリット版全訳 維摩経 現代語訳 (角川ソフィア文庫)

 

 

 

土日も自宅ではほとんど読まず(アマプラで海外ドラマや映画などを見ていることが多い)、読みたいときはわざわざ喫茶店に行く。ちなみに、平日の通勤時間に読む本と土日に読む本はわりときっちり分けていて、まず土日は小説は読まない。仕事関連の本もめったに読まない。多いのはややソフト系のサイエンス、アート(音楽の本とか)、軽めのエッセイなど。この土日に読んでいたのは、アンドリュー・パーカーの『眼の誕生』、村上春樹柴田元幸の対談本『本当の翻訳の話をしよう』だった。この2冊はどちらも良書(特に前者は傑作)なので、そのうち紹介します。

 

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く

 

 

 

本当の翻訳の話をしよう

本当の翻訳の話をしよう

 

 

まあこんな感じで、普段の生活の各所に読書が「配当」されているのが私の生活なのだけれど(他にも細かく言うといろいろあって、たとえば宿泊旅行なら司馬遼太郎スティーヴン・キングだとか、飲み会の帰りはコンビニで買ったマンガだとか)、こういう読み方ってみなさんもしているものなのだろうか。他の人の本の読み方が、なんだか覗き見みたいでちょっと気になるので、試しに自分のやつを公開してみました。

みなさんは、「どんな場所」で「どんな本」を読んでますか?