自治体職員の読書ノート

読むために書くのか、書くために読むのか。

【2263冊目】中島京子『のろのろ歩け』

 

のろのろ歩け (文春文庫)

のろのろ歩け (文春文庫)

 

 

「北京の春の白い服」「時間の向こうの一週間」「天燈幸福」の3篇を収めた一冊。北京、上海、台北の3つの都市がそれぞれの舞台になっている。

読んでいて感じたのは、中国(と台湾)という国がもつ重層性。表面上は近代化し、西欧化しているように見えていても、一方では昔ながらの風景だったり、縁台を出して将棋を楽しむ老人がいたり、脈を読んだだけで心が読めてしまう不思議な人物がいたりする。

「北京の春の白い服」は、中国の雑誌を変えようと奮闘する日本人女性、夏美が主人公だ。1月に春服を撮影しようとする彼女に対して、中国側のスタッフは「1月に春服は用意できない」という。4月号なのだから、モデルは春服を着ていなければならない。そう主張する夏美に対して、中国の女性たちはこう答える。「巻頭特集は『冬の服をまだ着て春に備える』にするというのが、いいと思われます」

頭を抱えながら、それでもどうにか撮影を成功させ、雑誌の刊行にこぎつける夏美。だがラスト近くになって、この「冬の服をまだ着て春に備える」という言葉の意味が、ちょっとしたことがきっかけで、急にリアリティをもって迫ってくるのである。それは、冬からあっという間に夏になってしまう北京ならではの、昔ながらの智慧だったのだ。

「時間のむこうの一週間」では「ルーザーズ・ヘブン」という言葉が出てくる。成功者ではなく、失敗者の天国。それが雲南という土地なのだという。だが、そこにはそれほど否定的な意味合いはない。バリバリ働いて出世街道を驀進するのとは違った生き方が、ここでは対等のものとして認められている。

思えば中国とは、古来より、一方では立身出世や実力主義の世界であって、もう一方では隠遁や隠棲を良しとする世界であった。前者が孔子であり、科挙であるとすれば、後者に属するのは老子荘子であり、道術や仙術だ。近代化、西洋化と昔ながらの文化や伝統の重層性もまた、このあたりに由来するのかもしれない。