自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1889冊目】『時間のヒダ、空間のシワ・・・[時間地図]の試み 杉浦康平ダイアグラム・コレクション』

 

時間のヒダ、空間のシワ…[時間地図]の試み: 杉浦康平のダイアグラム・コレクション

時間のヒダ、空間のシワ…[時間地図]の試み: 杉浦康平のダイアグラム・コレクション

 

 

まず、この表紙の図形を見てください。これ、なんだか分かりますか?

小さくて見えにくいかもしれないが、壁にぶつけられたトマトのようなこの図形、実は「時間地図」というものなのだ。この地図の場合、名古屋を中心にして、日本地図を「名古屋からの所要時間」によってプロットしなおしたところ、こういうカタチになったという。飛行機や新幹線で結ばれている東京や大阪は実際の空間配置より「近く」なり、地理的にはそれより近くても、交通の便が悪いいわゆる「僻地」だと、「遠く」に配置されてしまう。通常の日本地図なら均質、均等な「空間」が、ここでは時間によって伸び縮みするのである。言い換えれば、この地図では、空間の中に時間が折り畳まれている。

本書に掲載されているダイアグラムには、このように、一つの尺度や知覚をもって、別の知覚を表現させているものが多い。嗅覚によっていろどられた犬にとっての世界観を地図化した「犬地図」では、「匂い」が視覚に置き換えられている。あるいは、食事の時間軸に沿って日本料理、中華料理、フランス料理、インド料理それぞれの「味」を図示した「味覚地図」もある。日本神話やインド自然学などの複雑な領域を図によって表現したものもあれば、毛沢東の年表もあれば、1978年の日航機ハイジャック事件を時系列で図示したものもある。

そこに共通するのは、限られたスペースに情報が詰め込まれた濃密さと、それにもかかわらず圧倒的に見やすく、分かりやすいデザインである。このふたつが両立しているというだけでも奇跡的だが、それにしても杉浦康平は、なぜこのようなデザインができるのか。

ひとつのヒントになりそうなのが、本書に収められている、松岡正剛との対談だ。そこで杉浦は、インドで発見した「アジアの重層性」について語っている。

「インドのアーメダバードで、ホテルのテラスで朝食をとっていたとき、目の前の大通りをたくさんの車や人が行き交うのを見たのが衝撃でした。10分ほどの間に、バス、トラック、リキシャが走り、ラクダ、ゾウが移動していく。サルも走る。人間を含めたあらゆる動く手段、交通の歴史が流れるように目の前を通りすぎた。新旧の全部が共存している。これがアジアの重層性なんだと気づきました」

インドでは、歴史と現在が重なっている。日本のように歴史を流し去るのではなく、西洋のように整理分類して博物館に収めるのでもない。現在の中に歴史があるのである。この「重なり」が、おそらく本書のダイアグラムを読み解くひとつのヒントなのではないだろうか。

例えば「時間地図」なら、空間と時間の重なり。「犬地図」なら視覚と嗅覚。こうした「重なり」を再現しようとするところに、厚みが生まれ、多軸的で複雑になり、しかもそれらが一枚の紙の上に濃縮される。この「一枚の紙」というところが、実はひとつのポイントなのだ。複数のペーパーに表現すべきところを、たった一枚にまとめあげる。そこに、以下のような一連のプロセスがあるという。

「作図のあげくに最終的には一枚の図に帰結するのだけれど、それに至るいくつかのプロセスを同時に表現する必要があると考えています。あるひとつの出来事に対し、時間なら時間のいくつかの切り口を並列的に用意する。そうすることで、図の深まりが生まれます。「同時の多重性」……(後略)」

このようにして描かれ、重ねられた杉浦ダイアグラムは、まさに絶品の一言。今まで私が漫然と見ていたモノは、いったいなんだったのかと思わせられる。そしてこういうことは、文章ではなかなかできない。やはりこれは「図」の力、ダイアグラムの勝利なのである。