自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

【2264冊目】西郷信綱『古代人と夢』

 

古代人と夢 (平凡社ライブラリー)

古代人と夢 (平凡社ライブラリー)

 

 

「夢」を題材に、現代人とは大きく異なる古代人の観念と精神を鮮やかに浮かび上がらせる一冊。名著である。

古代、夢とは公的なものであった。為政者は夢を見るために「夢殿」に入り、そこで見た夢は神託として政治の指針となった。夢が私的なものとなったひとつの転機は聖徳太子であるらしい。太子は禅定のため、つまりは宗教的瞑想のため夢殿に入ったという。ということは、仏教の日本社会への導入が、夢がもつ位置づけを大きく変えたということである。

とはいっても、夢が古代の人々にとって大きな意味を持っていたことには変わりない。古語を辿れば、「夢(ユメ)」は「イメ」と言い、睡眠中の目を意味していた。だが、実際に夢を「見て」いたのは魂であった。ここで著者が展開する「魂」と「心」の違いの話はおもしろい。心とは身体器官、中でも内臓の働きを意味した。内臓がいわゆる知情意をつかさどると考えられていたのである。ちなみに本書の記述からは脱線するが、白川静によれば「心」の字は心臓の象形であるという。かつては心臓が思考する場所と考えられていたのである。

一方、魂は「内臓に局在するのではなく、容器としての身体の深部に棲みこみ、そして人間の生命を支える神話的あるいは形而上的な、つまり非物質的な何ものかである」(p.51)と著者は言う。身体とは魂の仮宿であり、保管所にすぎないと考えられていた。そして、夢を「見る」主体とは、まさにこの魂なのである。

これを著者は「魂の他者性」と呼ぶ。自分自身が気づかない潜在意識を他者としての魂が見る。あるいは、自分が眠っている間に、魂が抜け出て神々と交信する。夢はそのような「他者としての魂」が見せるものなのだ。だからこそ、それは当時の人々にとっては、超自然的な啓示であった。そこには忘れていた過去も、さらには未来の出来事までもが入りこんでくるのである。

さらに言えば、たとえば「永眠する」という言葉が示すように、そもそも「眠る」ことは一時的な「死」であった。眠っている間、ひとの魂は他界にゆき、そして目覚めと共に帰還する。夢とはそのような短い旅の間に、魂が他界で見てきたさまざまなものごとなのだ。本書はそのことを、古事記日本書紀における神話をもとに解読してみせる。とりわけ根の国をめぐるスサノヲ・オホナムヂ・オオクニヌシ神話の読み解きは圧巻の一言。

他にも書きたいことはいろいろあるのだが、本書の主なメッセージは冒頭近くにある「夢は個人の神話である」(p.27)というフレーズに尽きるように思われる。古代人は夢を介して、神との交信回路を保持していたのであり、眠りの間に神話を生きていたのである。その精神世界の、何と豊かで、畏れと驚きに満ちていたことか。現代人が夢に同じような意味合いを見いだすことは難しいと思われるが、せめてそのような精神世界をかつての人々は持っていたことを、時々は思い出したいものである。