【1737冊目】船戸与一『蝦夷地別件』
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北海道小説3冊目。開拓中心の明治・大正から、少し時代をさかのぼる。舞台は江戸時代。北海道がまだ「蝦夷地」と呼ばれていた頃だ。
老中・松平定信が実権を握っていた1789年、蝦夷地でアイヌたちが和人への反乱を起こした。「国後・目梨の乱」である。
1789年といえば、ヨーロッパではまさにフランス革命の年。それだけでもコントラストとしては興味深いが、本書はなんとこの二つを、桁外れのスケールの中に結びつけてみせた。両者をつなげているのはロシア。女帝エカテリーナ二世の絶頂期のロシアである。
さらにこの小説、ユーラシア大陸の東側と西側を俯瞰する視野の広さを見せたかと思うと、現実のアイヌの苦難に一気にフォーカスしてみせることもする。じっさい、常に物語の中心にいるのは、和人(日本人)によって虐げられ、搾取されるアイヌの人々だ。
アイヌの中でもさまざまなグループがあり、立場があり、決して一枚岩ではない。和人の側も、松前藩の中での闘争や思惑があり、幕府と松前藩の蝦夷地をめぐる主導権争いがある。さらにそこに絡んでくるのが、ロシアからやってきたポーランド貴族マホウスキであり、その背後にあるロシア、ポーランド、さらにはヨーロッパ情勢なのだ。
さらに加えてロマンスあり、若者の成長と挫折があり、権謀術数があり、和人とアイヌの壁を超えたつながりがある。和人の僧でありながらアイヌの集落に療養所を構える洗元。アイヌの側に立っているようでいて、奇妙な振舞いを見せる謎の武士、葛西政信。その葛西に剣を学ぶアイヌの若者、ハルナフリ……。
多彩な登場人物が絡み合うなかで、物語はその核である「国後・目梨の乱」へと一挙になだれこんでいく。だがアイヌと和人の闘いそのものの描写には、実はあまりページ数が割かれていない(それでも短めの長編小説一作ぶんくらいはあるが)。むしろ、闘いに至るまでのプロセスとドラマ、そして闘いが終わった後のアイヌの運命をこそ、著者は圧倒的なボリュームで描き切っている。
闘いに負けたことでアイヌは牙を抜かれ、鎮圧されたようにも見える。だがむしろ、私が読んでいて痛切な哀しさを感じたのは、乱をめぐるアイヌ内部のいざこざや、和人たちの文明の影響から、アイヌの生き方や伝統が内部から崩れていくありさまであった。
年長者に従い、金に頼らず物々交換で生計を立て、豊かな自然の恵みのもと、深い知恵をもって暮らしていたアイヌの人々が、和人と戦うかどうかをめぐって年長者に逆らい、同胞同士が傷つけあうようになる。アイヌの「和人化」が進んでいくのである。それも、アイヌたちが自ら進んで変わってしまうあたりが、なんともやるせない。
「ゴスカルリは一瞬、あっけに取られた。同胞(ウタリ)が同胞に物を貸すのに金銭を要求しているのだ。むかしはこんなことはありえなかった。何かの厄介をかけたときは働いて返したり、獣皮(ルシ)や鮭(シベ)で礼をするのがしきたりだった。しかも、ここは厚岸(アツケシ)みたいに和人がいっぱいいるわけじゃない。ここは標津(シベツ)なのだ。その標津が金銭ずくで貸し借りを決めようとしている!」(下巻p.406)
アイヌはむしろ、誇りをもって闘い、滅びてゆくべきだったのだろうか。それともチャンスが来るまで、どんな扱いを受けようとも我慢を重ね、ひたすら雌伏すべきだったのだろうか。「和人」である私に、答えが出せるはずもない。だが同じような運命を、アメリカのインディアンやインディオ、オーストラリアのアボリジニらも辿ったことを、読んでいて思い出した。彼らもまた、西洋人と触れあい、闘い、従属するなかで、誇りを奪われ、生活様式を変えられ、そして自ら変えていった。
そんな中でアイヌの「こころ」を守る人々もいる。中でも印象的だったのは国後の惣長人、ツキノエだ。蜂起に反対したが息子たちによって裏切られ、それでもアイヌのために最後まで考えつづけ、行動し続けた男。だが結局、息子のセツハヤフは反乱の首謀者として処刑され、孫のハルナフリは出奔して暗殺の道に進んでしまう。だが、そんな陰惨な運命もひっくるめて、やはりツキノエこそはアイヌの中のアイヌであった。
ページ数も多いが、中身もぎっしり重厚な小説。だがスケールのでかさと物語の面白さは保証する。そして、アイヌの運命に胸打たれることも。少なくとも私は、読んでいる間は一度も長さを感じなかった。