【1738冊目】知里幸惠編訳『アイヌ神謡集』
- 作者: 知里幸恵
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1978/08/16
- メディア: 文庫
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北海道4冊目。私の「とっておき」の一冊だ。
本書は、明治から大正にかけてアイヌ人として生きた編訳者が、父祖から伝え聞いた物語のいくつかを採録したものだ。アイヌは無文字社会だったので、左ページにローマ字でアイヌの発音を書きとめ、右ページにその和訳がつけられている。
「……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います」(p.4)
本書の序文で、知里氏はこう書いている。そしてまさにそのとおり、この本はアイヌの言葉と文化、そして感性を、まるでそのまま瞬間冷凍して、そのまま後世に残したかのような、きわめて貴重な一冊となった。
本書に収められている「神謡」の語り手は、ふくろうの神であったり、狐や兎であったり、あるいは海の神や谷地の魔神。要するにすべて自然に属するものであり、しかもかれらは、どうやらアイヌにとっての神でもあるらしい。
その視点から語られるのは、自然の秩序であり、そのなかで人間がやってよいことといけないことであり、神と人、自然と人がどのようにかかわってきたか、という物語。つまりは、アイヌの世界観や人生観が、内側から描き出されているのだ。圧倒されるのは、「珠玉」のような内容、そして表現。原語のほうはリズムを感じるしかないが、和訳を読むだけでも、素朴でてらいがないが、実に美しく選び抜かれた日本語が並んでいる。
びっくりしたのは、この本を刊行した大正11年、知里氏はまだ20歳そこそこであり、しかも本書刊行後まもなく病気で亡くなってしまったということだ。かの金田一京助氏が、本書に寄せた一文で、次のように書いている。
「種族内のその人の手に成るアイヌ語の唯一のこの記録はどんな意味からも、とこしえの宝玉である。唯この宝玉をば神様が惜しんでたった一粒しか我々に恵まれなかった」(p.161-2)
ちなみにこの巻末に寄せられた金田一氏の一文も、失われたものへの哀切がにじみ出た名文だ。だが考えなければならないのは、なぜこのようなすばらしい文化や感性が「失われたもの」になってしまったか、ということであろう。神が動物であり、自然であり、その中で人間が暮らしているような、そんな感覚を失わせてしまったのは、いったいどこの誰だったのだろうか……?