自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1566冊目】『川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選』

川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)

川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)

冒頭の短編「片腕」がスゴイ。一行目から、いきなりもっていかれる。こう始まるのだ。

「片腕を一晩お貸ししてもいいわ」と娘は言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝においた。

かの有名な「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」を超えている。あまりにあっさりとしているので、かえって異様な感じが増す。

川端康成は『雪国』『伊豆の踊子』など主だった作品しか読んだことがなく、噂には聞いていたが、他の収録作も含め、ここまでオカルティックでシュールリアリスティックな作風だとは知らなかった。しかもそのオカルティズムやシュールリアリズムが、日本固有の土着感覚を備えている。なんともいえず、われわれ自身の皮膚感覚に寄り添ってくるのだ。

例えば、どこかで筒井康隆が激賞していた、「片腕」の次の文章(元ネタが見つからないので、引用箇所はちょっとずれているかもしれない)。梅雨のこの時期に読むと、余計じめじめ感が伝わってくる。

雨もよいの夜のもやは濃くなって、帽子のない私の頭の髪がしめって来た。表戸を閉ざした薬屋の奥からラジオが聞えて、ただ今、旅客機が三機もやのために着陸出来なくて、飛行場の上を三十分も旋回しているとの放送だった…(略)…たれこめた湿気が耳にまではいって、たくさんのみみずが遠くに這うようなしめった音がしそうだ…(略)…ラジオはそのあとで、こういう夜は、妊婦や厭世家などは、早く寝床へはいって静かに休んでくださいと言った。またこういう夜は、婦人は香水をじかに肌につけると匂いがしみこんで取れなくなりますと言った。(p.13)


日常の風景を半歩だけ外したような、異様に幻想的で、しかもどこかで見たような懐かしさがある。乾いているようでウェット。どことなく、つげ義春のマンガに似ている。

本書はそれ以外にも処女作の「ちよ」に始まる川端康成の怪談系、オカルト系の作品をいろいろ収録している。心霊学に傾倒していたらしく、テレパシーやポルターガイストなどの怪奇現象が取り込まれた作品が多い。ギョッとしたのは「心中」という短い作品。星新一がこれを読んでびっくりしたというが、分かる気がする。

個人的には「弓浦市」という作品も忘れがたい。ある婦人から以前会ったことがあると言われるが、主人公には全然覚えがない。やたらにその話が具体的なのでついついうなずいて聞いてしまったのだが、婦人が帰った後で調べてみたら、そんな名前の町はどこにもなかった、というものだ。

そういう時の置いて行かれたような妙な感覚を、川端康成はポンと放りだすように書く。説明はしない。まあ、説明はないほうがいいだろう。なかには説明調の作品もあるが、そういうのはあまり面白くない。

感覚そのものが一見むぞうさに放り出され、それが読み手に急速に迫り、理屈抜きでこちらの感覚までもが「ぞわり」とする。「片腕」の、さきほど引用した湿気が皮膚に浸みとおってくるような文章もそうだが、怖いというより、そういう感覚レベルで小説を読まされることに、ギョッとする。う〜ん、あなどれない。