自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2371冊目】舘野仁美『エンピツ戦記』

 

エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ

エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ

 

 

スタジオジブリで27年にわたり「動画チェック」を担当した著者による回顧録。「内側から見たジブリ」の面白さに加え、アニメづくりの大変さと奥深さが詰まった一冊だ。

動画チェックという仕事自体聞きなれないが、読んでいるとこれがなかなか大変なのだ。そもそもアニメは、オリジナルの「原画」と、その間をつないで動きを出す「動画」がある。その動画がうまく動いているかをチェックして、ダメ出しをするのが動画チェックの仕事である。監督からいろいろ言われ、それをアニメーターに伝えるとそこでまたいろいろ言われる、いわば板挟みの仕事なのだ。特に著者が働いていたのは、あのスタジオジブリ宮崎駿高畑勲といった「天才」が相手だけに、その苦労は相当なものだったらしい。

本書はそうした苦労話とともに、内側から見た宮崎駿らのエピソードがいろいろ書かれていて、これがいいのである。例えば社員旅行で行った奈良で、池に舞い降りた水鳥に向かって宮崎はこう言ったという。

「おまえ、飛び方まちがってるよ」

 

 

鳥に向かって飛び方の間違いを指摘した人物は、おそらく宮崎駿ただひとりだろう。仰天した著者は、しかし後から考える。見た通りに描けばいい、と普通は思う。だが、宮崎アニメは違うのだ。宮崎駿が要求するのは「現実の向こうにある理想の「リアル」を描くこと」(p.54)。まるでプラトンイデアだが、こんなレベルを要求されるのだから、ジブリの仕事は生半可じゃないのである。

「一歩前に踏み出す」ことの大切さも、おそらくこのあたりに関係してくるのだろう。あるスタッフの写真を宮崎が褒めていたエピソードを著者は紹介する。「写真を撮るには、被写体に向かって一歩前に出ないといけないのだけれども、ふつうの人は手前で止まってしまう。アレックスはちゃんと一歩前に出て撮っている」(p.122)。これは写真ではなく、表現者全般に関わる指摘だと著者は言う。いや、これは表現者に限らず、どんな仕事にも共通する要諦なのではなかろうか。

こんな感じで、ジブリのアニメのもつ「凄み」のようなものが、ユーモラスなエピソードの中にキラリと光るのがたまらない。ジブリファン、アニメファンだけでなく、およそ仕事というものに本気で向き合いたいと思っている人であれば、いろんなヒントを得られそうな一冊だ。

【2370冊目】高村光太郎『智恵子抄』

 

智恵子抄 (1956年) (新潮文庫)

智恵子抄 (1956年) (新潮文庫)

 

 

高村光太郎は嫌いじゃないが、智恵子抄は読まず嫌いだった。こんなもの、身勝手な男の一方的な感情の吐露だと思っていた。自分の芸術のためにもうひとつの稀有な才能を押し込め、智恵子自身も夫への献身と自らの芸術の間で引き裂かれ、それゆえに智恵子は発病に至ったのだ。もっとも痛ましいのは、智恵子が光太郎に強制されてそうした道を選んだのではなく、自ら選び、それゆえに追い込まれていったことだ。

だから光太郎の智恵子への愛など、エゴイストの愛だと思っていた。実際、この詩集を読んでいると、ちらほらと、自己の所有物然と智恵子を眺める視線を感じることがある。だがそれでも、やはりこの作品は、胸を打つ。智恵子を想うまっすぐな心情が、ストレートに読み手に届く。詩というもののもつ底力のようなものを、この本からは感じた。中でも胸打たれた作品をひとつ選ぶなら、智恵子の死後に書かれた「レモン哀歌」。宮澤賢治の「永訣の朝」に匹敵する絶歌である。やはり「読まず嫌い」は、するものではない。

 

レモン哀歌


そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉のどに嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
山巓さんてんでしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

 

 

 

 

 

【2369冊目】『少女架刑 吉村昭自薦初期短篇集1』

 

 

「死体」「青い骨」「さよと僕たち」「鉄橋」「服喪の夏」「少女架刑」「星と葬礼」の7篇を収めた、吉村昭の初期短篇集。

歴史小説や「プロジェクトⅩ」的熱血成功譚のイメージが強い吉村昭が、初期にこんな作品を書いていたことにまずびっくりした。もっとも後年の傑作の中にも、『破船』のようなブラックな味わいの作品もあるにはあるが、これも時代はだいぶ前。一方、本書に出てくる小説はいずれも(書かれた当時の)現代である。

史実をベースにしたものではなく、吉村昭の頭の中で生み出された異様な着想がもとになっている。共通する特徴は、いずれも「死」を大きく扱っていること。というより「死」をきっかけに浮かび上がる「生」を、死の方向から照射している、というべきか。

例えば冒頭の「死体」では、事故で電車に轢かれて死んだ男を軸に、隣家の女性(人妻だが、実は死んだ男性とも関係をもっていた)の心の動きを描く。「鉄橋」もやはり轢死から始まるが、こちらは将来を嘱望されたボクサーが死んでいる。一見自殺とも事故とも縁のなさそうなボクサー北尾だが、意外な事実が次々と明らかになり、いわば北尾の死によって、それまで見えなかったものが白日のもとにさらされる。その上で最後に明かされる北尾の死の理由にも驚かされる。

再読だが初読時に仰天したのが表題作「少女架刑」で、これはなんと死んだ少女の視点から、少女が(つまり自分自身が)病院に運ばれ、解剖され、火葬されるまでのプロセスをつぶさに描くきわめつきの異色作だ。「星の葬礼」は、個人的には本書中のベスト。葬儀となると必ず顔を出す知的障害のある少年を中心に、思いがけない形で「生と死」が展開する切ない小説だ。

それにしても、この人に「若書き」という概念はないのだろうか。実は本書を読んでもうひとつ驚かされるのが、一つ一つの作品の完成度の高さである。贅肉のない、それでいて見事に情景が浮かぶ文章、深みのある人物造形、そして意外きわまるストーリーテリング。後年の作品と趣は違うが、吉村昭は最初から吉村昭であったのだ。

 

【本以外】メスキータ展に行ってきました

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開催終了まであと1週間となったメスキータ展を見に、東京ステーションギャラリーに行ってきました。

 

気になりつつなかなか足が向かなかった展覧会ですが、行ってよかったです。というか、もっと早く行けば良かった! 少なくとも夏休み前に行くべきでしたね。明らかに来たくなさそうな子供を引っ張り回して最後にはキレるお父さんとか、絵の真正面に立って顔を近づけて絵を見る中学生とか、絵以外に気になることが多い鑑賞環境でした。あのね。メスキータのタッチをまじまじと見たいのは分かるけど、混んでる展覧会で至近距離から絵を眺めたいなら、人がいないタイミングを見計らうか、絵の横に立って斜めのアングルから見るか、せめて短い時間で切り上げるんだよ。わかった?

 

メスキータという名前自体、たぶんこの展覧会以前だったら聞いたことさえなかったでしょう。19世紀から20世紀にかけてオランダで活躍した画家で、出自はポルトガルユダヤ人。最期はなんとアウシュヴィッツで命を落としたということです。その後、あのエッシャーがメスキータの絵を守ろうと動いたことでも知られています。エッシャーの師匠格ということらしいが、エッシャー的な不思議ワールドとは違う、独特の世界観を放つ作品が多いように思います。

 

リトグラフや水彩画もありますが、やはり図抜けているのは木版画です。彫刻刀のタッチをそのまま残した、一見粗削りなスタイル。だがそれがかえって独特の味になっていて、全体としてはなんともスタイリッシュでデザインとして秀逸です。余計な装飾を排した最小限の表現ながら、強烈なインパクトで忘れがたいものがあります。

 

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例えばこの絵「トーガを着た男」では、男の周囲に後光のように射しているのはすべて彫刻刀で一本一本線を彫った、そのタッチそのものなのです(わかりますか?)。男の身体は手以外はほぼ黒一色ですが、それだけで黒い服を着ていることがしっかり伝わってくるのもスゴイ(この写真自体はホンモノを撮ったのではなく、外にあったスクリーンですが)。表情も最小限の表現で陰影までも伝わってくるのです。すばらしい!

 

日本の浮世絵の影響を受けていると言われますが、その省略の極致のような技法はむしろ禅画か、あるいは枯山水を思わせます。アール・デコ、シュプレマティズム、シュールレアリスム、どれにも近いようでどれとも違う、比類なき独自のアート。願わくばこの人の版画で構成された絵本を読んでみたいと思います。そういえばこの展覧会では、図録の購入はマストです。一時期品切れだったようですが、私が行ったときはしっかり補充されていました。たぶんこの展覧会を逃したら、メスキータの作品を手元で眺められる機会は二度と来ないかもしれませんからね。もちろん本物の迫力は目の前でまじまじと眺めなければ伝わらないでしょうから、まずは来週の日曜までに、何が何でも時間を作って東京駅に向かうことをおススメします。

 

 

 

【2368冊目】トム・ロブ・スミス『偽りの楽園』

 

偽りの楽園(上) (新潮文庫)

偽りの楽園(上) (新潮文庫)

 

 

 

偽りの楽園(下) (新潮文庫)

偽りの楽園(下) (新潮文庫)

 

 

インスタグラムからの転載。

異様な小説だ。上下巻のうち、なんと下巻の半分くらいまでのほとんどが、主人公の母親の一人語りで占められている。しかもその母親は、スウェーデンの精神病院に入院し、そこから出てきてイギリスの我が子のもとを訪れたのだ。

明らかに妄想に満ちた母の語り。母を追ってイギリスにやってきた父と、その父を敵視する母。だが、読むうちに読者は、父と母のどちらを信じたらいいのかわからなくなる。そして全体の4分の3過ぎあたりで、ようやく主人公は、母の語る内容の真相を確かめるべく、自らスウェーデンに赴く。

疑惑に満ちた幕開けから、ショッキングな真相に至るラストまで、何を信じたらいいのかわからないまま、読者はどんどんページをめくらされることになる。「信頼できない語り手」が出てくる小説は多いが、最初から「信頼できない」ことを前面に出しつつ、さらにそこをひっくり返すのはよほどの力業だ。本書はそこをなかなかうまく決めている。極端な「語り」の長さもまた、この物語に必要だったのだと、読み終えて誰もが認識するだろう。