自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2367冊目】中島岳志『保守のヒント』

 

保守のヒント (中公文庫)

保守のヒント (中公文庫)

 

 

インスタグラムからの転載。

保守とは何か。右翼とはどう違うのか。TPPを推進するのは保守だろうか。なら原発はどうか。自民党は保守か。では安倍晋三はどうか。あなたは即答できますか。

本来の「保守」とは、人間の理性を全面的には信頼せず、理性や理念に基づく改革を信じない人々のこと。そのかわり、長年にわたり人々に支持されてきた伝統や慣習を重視しつつ、徐々に変化することを好む。保守が嫌う「左派」「リベラル」はその逆で、人間の理性に基づく合理的な社会の設計が可能であると考える。だからフランス革命共産主義革命のような、極端な社会改造を行おうとする。

著者は、安倍晋三は「保守」ではなく、単なる「反左翼」「反左派」であるという。これは腑に落ちる。たしかに、彼の言動は自分の理念や理想を語る時よりも、旧民主党政権などを攻撃する時の方がはるかに生き生きしている。それに「保守」にしては、安倍総理は「改革」が好きすぎる。改革を連呼する人は、定義上、保守ではない。

右翼と保守も違う。右翼は理想的な社会のあり方を過去(たとえば古代日本)に求める点で、皮肉なことに左翼と似ている。違うのは、原動力になるのが理性ではなく情念やロマンであり、求める社会が未来ではなく過去にあるというだけのことだという。

本書は福田恆存竹内好大川周明などの言論を通じ、日本保守思想のルーツを丁寧にたどっていく。中で著者が重視しているのが橋川文三とのこと。たしかに、本書で紹介されている橋川のナショナリズム論はおもしろい。

 

「橋川が積み残した課題は、二十一世紀の現代日本においてこそ問われるべき問題である。格差社会が拡大するなか、青年たちの「スピリチュアルな自分探し」が偏狭なナショナリズムへと傾斜していく現象は、今日の日本における最大でかつ緊急の課題である。この問題を放置すると、「昭和維新」運動に近い形の暴力やテロが起きかねない」(p.227)

 

これは本書のポイントであるというだけでなく、『中村屋のボース』から『秋葉原事件』『血盟団事件』と続く著者の思索と言論そのものの結節点とも思える。まさに今の日本は「保守化」ではなく、明確に「右傾化」していることが、本書からは鮮明に見えてくる。

 

 

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義

 

 

 

秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日文庫)

秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日文庫)

 

 

 

血盟団事件 (文春文庫)

血盟団事件 (文春文庫)

 

 

【2366冊目】アンドリュー・パーカー『眼の誕生』

 

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く

 

 地味なタイトルだが、書かれていることはとんでもなく刺激的かつ革命的。文字通り「見える世界が変わる」一冊だ。

硬い殻をもつ貝類。色を変えて身を隠す魚。毒々しい模様をもつ昆虫。自分を大きく見せて相手を威嚇する鳥。多くの生物がもつこうした特徴は、ひとつの「機能」が前提になっている。「視覚」である。

当たり前といえば当たり前のことだろう。だが、この「当たり前」と進化の大爆発をみごとに関連付けたのは、どうやら本書の著者がはじめてらしいのだ。まさにコロンブスの卵、あるいは「目から鱗」というべきか。ベタだけど。

カンブリア紀の進化大爆発。スティーヴン・ジェイ・グールドがかの名著『ワンダフル・ライフ』で紹介した、バージェス頁岩から発掘された奇妙な生き物の数々が有名だが、その後の研究で、実はこの時期、体内の構造はそれほど大きく変化しておらず、外形ばかりが一挙に多様化したことがわかっている。もっと具体的に言えば「現生するすべての動物門が、体を覆う硬い殻を突如として獲得した」(p.59)のだ。内骨格によって体の形を変えるわれわれとは違い、当時の動物のほとんどは「外骨格」つまり外側の覆いの形を変えることで、さまざまな形態をとることができる。その起点となったのが、このカンブリア紀だったのだ。

この進化大爆発のトリガーを引いたのが「視覚」を備えた種の登場だった。栄えある役目を担ったのが、かの三葉虫である。光感受性をもつ部位が複雑化し、神経が増え、突如として三葉虫に「複眼」を持つ種が出現したのだ。そして世界は、はじめて「見られるもの」になった。それまで誰にも「見られなかった」動物たちは、いきなり「見られる」ようになったのである。

この影響はまさしく革命的だった。視覚を備えた三葉虫は、それまでより遠くにいる餌を発見することができ、自分を狙う捕食生物からも逃れられるようになった。この「独り勝ち」を許さないためには、周囲の生物もまた、身を守る殻を備え、見えづらいように色を変え、そして自らも「視覚」を備える必要があった。

驚くべき発見である。なぜカンブリア紀に進化の「大爆発」(外形上の)が起きたのかという古生物学上の巨大な謎が、魔法のように解き明かされたのだ。そして、このカンブリア紀に生まれた生物の多様性は、ほとんどそのまま現在の地球における生命の多様性のルーツになっている。「視覚」があってはじめて、われわれ人類を含めた地球上の生物多様性は存在するようになったのだ。旧約聖書の冒頭、神は「光あれ」と言ったとされている。だが本当は「視覚あれ」だったのかもしれない。光があってもそれを見ることができなければ、何にもならないのだから。

 

 

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)

 

 

【2365冊目】吉田秋生『ラヴァーズ・キス』

 

ラヴァーズ・キス (小学館文庫)

ラヴァーズ・キス (小学館文庫)

 

 

インスタグラムからの転載。

里伽子の視点から藤井との恋愛を描く1周目は、ベタなラブストーリー。だが、同じ時間軸を、2週目は友人の鷺沢、3周目は里伽子の妹のえりの視点から描きつつ、意外な出会いと恋の交錯を重ねていく。

男と女、だけではない。男と男、女と女の恋もある。そこを絶妙にからませつつ、中心にあるのは藤井という謎めいた男の存在だ。なぜ彼は一人で暮らしているのか。なぜ学校をやめるのか。その真実に触れた瞬間の痛みを知った時、えりは同時に、「あえて知らないでいる」やさしさと想いの深さを知るのである。

BANANA FISHのようなバイオレンスもヒロイズムもない。だが、痛みとせつなさに満ちた若き日の恋情の世界は、やはり吉田秋生の独擅場なのだ。

【2364冊目】堀川惠子『教誨師』

 

教誨師 (講談社文庫)

教誨師 (講談社文庫)

 

 

死刑囚に神仏の教えを説く「教誨師」。その「仕事」の中身が、こんなにすさまじいものだとは知らなかった。なにしろ相手は、死刑が確定した、それも海千山千の強烈な連中である。宗教者としての本領、というよりむしろ、ここではその人の人格そのものが試される。

本書は、浄土真宗の僧侶として教誨師を50年にわたり続けてきた渡邉普相の語りを、誠実に、丹念に書き留めた一冊だ。死刑制度のもっとも身近で、死刑囚の声を聞き続けた教誨師の言葉のもつ重みは、通り一遍の死刑廃止論とは次元が違う。にもかかわらず読み始めるとやめられなくなるのは、われわれの多くがほとんど目にすることのない世界が、ここに描かれているからだろうか。

看守殺しの脱獄犯、かの三鷹事件で唯一罪に問われた男、自分を捨てた母への意趣返しに無関係の人を殺した男、物欲と色欲で多くの人を殺めた女、「殺しが楽しい」「大久保清と自分は同類」と語る男。こうした相手に親鸞の教えを聞かせようとするのだから、これは大変である。渡邉の放ったわずかな一言で二度と顔を見せなくなる者もいる。最期まで母に会いたいと切望し、泣き叫びながら死刑を執行された男もいる。そんな中での、激しくメンタルを削られる「仕事」を、渡邉はなぜ半世紀にわたり続けられたのだろうか。

本書によると、渡邉は子どもの頃に広島で被爆して紙一重で死をまぬがれ、助けを求める人々を見殺しにして逃げるというキツイ体験をしている。もう二度と、助けを求める人を捨てて逃げることはしない。そんな思いが原点となり、教誨師としての使命をまっとうできたのだという。

広島の体験に匹敵する大きな出来事、もうひとつのターニングポイントは、なんと70歳近くでなったアルコール依存症だろう。渡邉はストレスから酒が手放せなくなり、ついには精神病院から東京拘置所に通うようになったのだ。そしてなんと、入院を隠すことに無理を感じてきた渡邉は、思い切って死刑囚たちに「実はわっし、今、”アル中”で病院に入っとるんじゃ」と「告白」したのである。このうわさが広まると、意外な効果があった。渡邉が一人の人間としての弱みをみせたことで、かえって死刑囚たちが渡邉への親近感を覚え、距離感がぐっと縮まったのだ。

ここで渡邉が思い出したのが、入院中の精神病院で自分が見た光景だった。患者たちは相談役のカウンセラーのところには行かず、掃除のおばちゃんたちにいろんな話をしていたのだ。カウンセラーたちは医者のように上から目線で振る舞い、威張りくさっていたのである。そのカウンセラーの姿が、かつての自分の姿に重なった。

「病院の患者も、拘置所の死刑囚も、実は同じではなかろうか。教誨師である自分も、あの医者のような高飛車な雰囲気をまとったカウンセラーになってはいなかっただろうか、と。「お前に何が分かる!」という怒りは、まさに自分がこれまで、死刑囚たちから浴びせられたものでもあった」(p.323-4)

 

 

このあたりは、カウンセラーに限らずケースワーカーソーシャルワーカーなど、人と関わる仕事をしている人にとっては、身につまされるものがあるかもしれない。われわれは気づかないうちに、専門性を振りかざして「助けてやる」と言わんばかりの上から目線で相手と接してはいないだろうか。相手に弱みを見せまいと、権威というヨロイで自分をガチガチに固めてはいないだろうか?

【2363冊目】宮本輝『優駿』

 

優駿(上) (新潮文庫)

優駿(上) (新潮文庫)

 

  

優駿(下) (新潮文庫)

優駿(下) (新潮文庫)

 

 

北海道の小さな牧場で生まれた名馬オラシオンを中心に、多くの人間が繰り広げるドラマ。圧倒的な広がりをみせつつも、物語はあくまでオラシオンを離れることはない。オラシオンの存在感が、愚かで、懸命で、欲得と愛憎にまみれた人間の姿を浄化しているようにさえ見えてくる。

圧巻の小説。人間ではない存在を中心におくことで、かえって人間の姿が瞭然と見えてくるのが面白い。それにしても、なぜ人間はあれほどまでに、馬に魅せられるのか。競馬がどこかほかのギャンブルと異質なのは、その根底に、馬という存在への畏敬があるからなのかもしれない。

「馬はなァ、夢や」「馬主もそうやし、馬券を買うやつもそうや。二百円なら二百円の、千円なら千円の、夢を買うんや。捨ててもええ金で買う夢や。それを忘れるなよ」(上巻p.79-80)

 

「馬は、心で走る」(下巻p.246)