自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2816冊目】ラフカディオ・ハーン『小泉八雲東大講義録』


明治時代、お雇い外国人として東京帝国大学で教えていたラフカディオ・ハーンの講義録である。ハーンといえば『怪談』の著者小泉八雲であるが、本書はそのハーンの文学観や日本への想いがつぶさに語られている。


『怪談』とのつながりで言えば、やはり外せないのは第2章「文学における超自然的なもの」だろう。夢や妖精、樹の精などについて正面から語った文学講義というのがすでに珍しいが、その語り手がかのラフカディオ・ハーンなのである。ちなみにここでハーンが言う「夢は、利用の方法がわかっている人間にとっては、文学の素材がぎっしり詰まった宝庫といえる」(p.86)という指摘は、漱石がかの『夢十夜』でそのまま実践したことではなかろうか。


第3章「生活の中の文学」は、具体的な文学の実践について触れられている。ここではなんといっても「読書について」という講義が耳に痛かった。「彼らはただ娯楽のために、つまり、いわゆる「暇つぶし」のために本を買っているのである。一、二時間で本を読み飛ばし、心に残るものといえば、一、二のぼんやりとした印象にすぎない。しかも、彼らはこれが本当の読書だと信じて疑わない」(p.183)・・・・・・ええと、これって、私のことを言っているとしか思えないんですが。


このあたりはなかなかに痛烈なのであるが、ではハーンがどんな読書法を勧めているかといえば「知識や学問や経験があるにもかかわらず、子供がお伽噺を読むのと同じように」(p.192)読むのがよろしいと言っているのである。では、子供の本の読み方とはどういうものか。「子供はごく単純なものしか読めないことは確かだが、恐ろしいほど徹底的に読む。また、読んでいる本について、倦むことなく、何度も何度も繰り返し考え抜く。一編の短いお伽噺が、読んでから一ヵ月経っても、彼の心にこびりついて離れない」(p.189)


う〜ん、これは参りました。たしかに、子供の頃はそんなふうにどっぷり本に浸かっていたものだ。そして、その頃読んだ本のほとんどは、今もしっかり記憶に残っている。数日前に読んだ本のほうはすっかり忘れているというのに!


あまりに身につまされたのでこのへんにしておくが、他にも本書には「かつて苦しみを知らぬ人によって傑作が書かれたためしはなく、これからも決して書かれることはないだろう」(p.176)とか、「民衆の本当の言語で書くことを恐れない作家が現われるまでは、新しい日本文学は生まれないであろう」(p.249二葉亭四迷あたりにつながる指摘だろうが、私はむしろ織田作之助あたりの文体を思い出した)といった指摘など、今にも通じるものが感じられる。


シェイクスピアやブレイク、ワズワースらの紹介も素晴らしく、120年前にこの講義を聴いた大学生たちが羨ましい。まあ、この講義はすべて「英語」で行われたそうなので、私などはそもそもついていけなかったかもしれないが。いずれにせよ、ハーン/八雲の原点を知るには格好の一冊だ。


最後までお読みいただき,ありがとうございました!


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