自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2599冊目】伊藤亜紗『手の倫理』


「さわる」と「ふれる」の違いを考えるところから、この本ははじまります。


「傷口にさわる」というといかにも痛そうだけど、「傷口にふれる」だとそうでもない。愛する人は「ふれる」けど痴漢は「さわる」。逆鱗には「ふれる」が、神経には「さわる」。う〜ん。違うのはわかるけど、いったいなにが違うのか。そんな問いかけを出発点にしつつ、著者はその奥深くへと議論を進めていきます。


そもそも人間は、視覚優位の生物です。触覚は「劣ったもの」「低級なもの」として扱われやすい。でも、話はそんなに単純ではないのです。


一般に、触覚の特徴として挙げられるのは「距離ゼロ」「持続性」「対称性」だといいます。


しかし、著者はこう指摘します。


まず、「さわる/ふれる」とは、「距離ゼロ」ではなく「距離マイナス」である。触覚によって、私たちは対象の内部にある動きや流れを感じられるからです。


次に、接触は「信頼」がベースにあります。目を通して知っている人も、「手を通して」知る時に、一種の「出会い直し」が起きている。そして、接触の瞬間に何が起きるかは、接触してみないとわからないのです。そこに横たわっている不確実な要素を飛び越えて、相手を信頼することで、はじめて「接触」が成り立つのです。逆に言えば、そうした点への配慮がなくただ接触する行為は、ある種暴力的でさえあります。


そして、さわる/ふれることはコミュニケーションです。ここで面白いのは、著者が「さわる」を伝達モード、「ふれる」を生成モードとして、コミュニケーションの態様を分けているところです。


伝達モードとは、片方が一方的に情報や指示を伝えるコミュニケーション(医者が患者に「さわる」ようなケースですね)。それに対して、生成モードとは、双方向的であって、あらかじめ準備された何かを伝えるのではなく、その場の交わりの中で生まれてくるようなコミュニケーションなのです。それを小児科医で脳性まひ当事者の熊谷晋一郎は「ほどきつつ拾い合う関係」と呼んでいるそうです。


そして、著者は、こうした関係こそ「倫理」であるというのです。「道徳」と「倫理」のちがいを考えてみると、「道徳」とは普遍的で絶対的な「正しいこと」であるのに対して、「倫理」に一般的な正解はない。「『こうあるべきだ』という一般則としての道徳の価値を知りつつも、具体的な状況というライブ感のなかで行動指針を生み出し続けること」(p.136)が倫理であって、「ふれる」とはまさしく「手の倫理」なのです。


とまあ、こんなふうにまとめてしまうと途方もなく難解な議論に思えそうですが、本書はいろいろな具体的な例を引いてわかりやすく解きほぐしてありますので、その点は心配無用です。いずれにせよ、「さわる/ふれる」ことの奥深さ、おもしろさがよく伝わり、今まで考えたこともないような領域に思考が運ばれる一冊です。