自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【本以外】映画『ジョーカー』を観てきました

 

ネタバレあります。ご注意を。

 

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典型的な「闇堕ち」モノだが、そのゴールがあの「ジョーカー」というところがポイント。どういう体験をすればああなるのかという怖いもの見たさで観てきたが、なるほど、そういうことか。

アンチキリスト的な「絶対悪」から、普通の人間が悪に堕ちるまでを描く「相対悪」とでもいうべき悪人観への変化は、ヨーロッパの歴史のいったいどのあたりで生まれたのだろうか。個人的にはフロイトの影響が大きいのではないかと思っているのだが、ナチスのようなリアルな「究極の悪」が生まれてしまったことも、ひょっとしたら影響しているかもしれない。映画でもこのパターンは決して少なくないが、超有名どころで言えばスター・ウォーズにおけるダース・ベイダーだろう。なんといってもあのシリーズは、エピソード1~3までのまるまる3本の映画を使って、アナキン・スカイウォーカーからダース・ベイダーへの変貌を描き出したのだから。

とはいえこの『ジョーカー』も、プロセスを丁寧にじっくり描いているという点では相当なモノだ。しかもその内容は、スター・ウォーズよりはるかにリアルなもの。なにしろ精神疾患、貧困と格差、失業、虐待等々、考え得る限りのトラウマ的イベントが、主人公アーサーの人生には詰まっているのだ。

すべてが複合的に影響しているが、おそらくアーサーが「ジョーカー」になった主要因は、自尊感情の剥奪だ。そもそも冒頭、若者たちにリンチされるシーンから、アーサーは徹底的にプライドを踏みにじられ、侮蔑的な言葉を投げつけられ、無視され続ける。まともに話を聞いてくれないセラピストらしき女性。若者たちに看板を壊されたアーサーに怒り、リンチを受けたことに同情もしない職場の上司。同じアパートの女性と恋仲になるがそれもすべて妄想で、実際には怖がられ、追い出される。しかも母親から聞いていた自分の出自もデタラメで、初めて知った自分の生い立ちは悲惨そのものだ。もちろん、貧困も精神疾患も、一般的には自尊感情を大きく損なうものだ。

そこを支え、励まし、あるいはせめて話を聞いてくれる相手がいれば、また違ったかもしれない。だが、アーサーには誰もいなかった。決定的だったのは、敬愛していたトークショーの司会者マレー・フランクリンがテレビ上で自分をこき下ろし、しかも自分の番組に引っ張り出してさらし者にしようとしたことだ。だからアーサーは、あえてピエロの格好で番組に出現し、「ジョーカー」としてのデビューを飾ったのである。

この映画が流行っているという現実は、考えてみれば恐ろしい。アーサーに共感する「自尊感情なき」多くの人々がこの映画に喝采しているとすれば、ゴッサム・シティがそうであるように、われわれの社会の崩壊もまた近いと考えられるからだ。アメリカではこの映画が観客に与える影響を懸念する声が大きいと聞くが、そちらの方が判断としては正常だろう。

映画の中で、荒廃するゴッサムシティ(清掃職員のストで街中にゴミが積み上がっている)で、夜会服を着たエリート層の連中がチャップリンの映画に興じているシーンがある。この映画を観て「どこがいいのかさっぱり分からない」「アーサーに全然共感できない」という人は、たぶんこの夜会服の連中と同じなのだろう(ちなみにこの連中は、チャップリンアイロニーも哀愁もおそらく理解できてはいまい)。それはとても幸せなことだ。だが、いつまでも自分が安全地帯にいられるとは限らない。あなたがいる居心地の良い劇場の外では、ゴミが腐臭を上げ、車が炎上し、トラックが歩行者天国に突っ込んだりしているかもしれないのだから。