【2173冊目】安田登『異界を旅する能』
能には「シテ」と「ワキ」がある。夢幻能では、「シテ」は幽霊などの、この世ならぬ存在。一方の「ワキ」は、多くは旅人であり、ふとした拍子で異界に迷い込む。本書はそんな「ワキ」の視点から能を読み解くだけでなく、そこから日本文化の深みを掬い上げるような一冊だ。
そもそも、多くの旅人が往来する中で、なぜ「ワキ」だけが異界に入ることができるのか。さまざまな理由が本書では提示されているが、印象的だったのは「無力」というキーワード。ワキは「無力」だからこそ、異界からのかそけき声を聴き、幽霊のすがたを見ることができるのだ。
さらにここに「旅」「道行」ということが加わる。旅といっても、それは観光旅行のようなものとは違う。それは世俗の生活から離れた放浪の旅であり「諸国一見の僧」となることだ。あるいは芭蕉がいうように「旅を栖(すみか)とする」ことなのである。
それは自分を「空洞化」する旅でもあるという。だからこそ、その「無」にこの世ならざるものが共鳴し、出現するのだろう。世俗の欲望やしがらみに心が埋め尽くされているようでは、人は「ワキ」にはなれないということなのである。