自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2172冊目】奥井智之『社会学の歴史』

 

社会学の歴史

社会学の歴史

 

 
社会学とは、社会に関する学問だ。では、そもそも社会とは何なのか。

社会学の創始者といわれるオーギュスト・コントは、フランス革命によって出現した市民社会を自らの学問の題材としたという。本書ではその「前史」として、なんとアダムとイブの楽園追放から(さらに言えばキューブリックの『2001年宇宙の旅』の冒頭から)話を始めるのだが、それでも社会が「社会」として可視化されたのは、やはりフランス革命以降であると考えてよさそうである。

そこから著者は、マルクスエンゲルスフロイトという社会学に深い影響を与えた巨人を紹介し、ジンメルデュルケームウェーバーシカゴ学派パーソンズと、いわゆる「教科書的な」配列で主要な社会学者の学説を紹介していく。その内容は書かれたものというよりまるで「語られたもの」のようである。時に脱線し、時に拡張し、その展開はまるで講義録のようだ。だからこそ、本書はタイトルこそ退屈そうに見えるが、実は読んでみるとなかなか面白い。特に、個々の社会学者の生涯や人柄がユーモラスに語られているのが良い。

それにしても読んでみてあらためて思うのは、社会学という学問分野は、本当に欧米のものなのだなあ、ということだ。本書の最終章では日本人の社会学者が紹介されるが、5人のうち2人は福沢諭吉柳田国男。残りの3人のうち知っていたのは清水幾太郎だけだった(知らなかった2人は、高田保馬と鈴木栄太郎)。

社会学自体が明治以降に輸入された学問であって、彼ら日本の社会学者がその成果を学びつつ、懸命に日本社会を捉え、独創的な理論を打ち立てたことは、たいへんに素晴らしいと思う。だが、ここで冒頭の問いに戻るのであるが、そもそもフランス革命のようないわゆる市民革命を経ていない日本に「社会」はあったのだろうか。否、今もあるのだろうか。日本だけではない。社会という概念自体、果たしてそれほどの普遍性のあるものなのだろうか。アジアやアフリカには「社会」はあるのだろうか。ひょっとして「社会」とは、欧米独自のローカルなものにすぎない、という可能性はないだろうか。

極論かもしれない。いや、たぶん極論なのだろう。実際に、欧米の社会学者によって行われた分析や理論の多くは、日本の「社会」にもあてはまる。だがそれでも、社会学という学問分野自体の射程を本当にそれほど広くとらえてよいものか、いささかの疑問は残るのである。