自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1392冊目】藤田宙靖『最高裁回想録』

最高裁回想録 --学者判事の七年半

最高裁回想録 --学者判事の七年半

学者の世界から一転、最高裁判所の判事となった著者の日々を綴った本。最高裁判事という「未知の領域」を内側から観察した、得難い一冊である。

そもそも最高裁判事って、誰がどうやって決め、どうやって「お誘い」がかかるのか。著者が明かしているところでは、なんでも最高裁事務総局の人事局長から突然電話が来たらしい。しかも就任は2カ月後。ずいぶん余裕のない話に思われるが、これでも学者相手の場合「他のケースよりも早めに打診をしている」のだという。

著者は「裁判だけやっていればいい」という「甘言」に釣られて就任を受諾したらしいが、実はその「裁判」の質量というのがとんでもないのだ(著者は、裁判だけやっていればいいというのは「懲役囚に対して『お勤めだけをして居れば良い』というのと似たようなもの」(p.57)と評している)。

話には聞いていたが、はっきりいって、最高裁は忙し過ぎである。なにしろ年間に受ける上告事件は約6,000件。これを3つの小法廷で受け持つから1つあたり2,000件。小法廷あたりの裁判官は5人で、裁判長は順繰りにまわってくるから、自分が裁判長として処理する事件だけで年間なんと400件。なおかつ、裁判官は全員が小法廷ごとに全部の事件を検討するのだから、結局は年間2,000件の審議に関わることになる。これに上告事件以外の「雑事件」が加わり、年間処理件数は小法廷あたり3,000件、最高裁全部だと9,000件にのぼる。

もちろん全部が審議の対象になるわけもなく、95パーセントは上告理由を満たしていない等のいわゆる「門前払い」判決となるわけで、この類は「持ち回り審議」というカタチで書類だけが流れて行く。とはいえ、それでも資料はそれなりにちゃんと読まなければならず、中身を見ないでハンコだけぺたぺた押していくわけにはいかない。また、調査官のサポートが極めて重要な位置を占めているというが、それでも調査官の言いなりに判決を書くワケもなく、結局は報告書を参考にしつつ、自分の頭を通して判決を書いていくほかないのである。

したがって著者が「日本の最高裁判事には、殆どスーパーマンとしての役割が期待されている」(p.69)と言うのは、誇張でもなんでもなく真実なのだと思う。本書を読む限り、それでも最高裁判所のサポートシステムは相当よくできているようだが、それを割り引いても、これは一人の生身の人間に期待できる限度を超えているのではなかろうか。著者はこの現状を打開するための対策案をいくつか提示しているが、これはまさに当事者の「心の叫び」であって、最高裁は本気になってこれを受け止めるべきである。最高裁判事在任中の急死が多いとの話も出てくるが、シャレになっていない。

他にも本書には、最高裁内部の人間関係や「宴会」のありよう、宮中での儀式参加や天皇陛下の印象から、死刑判決の上告棄却をする時の気持ちや行政裁判に対する熱い思いまで、普通では知りえない最高裁判事という「異界の人々」の姿や気持ちが実になまなましく描かれている。特に第三章「関与した事件から」は、法を学ぶ者すべての必読としたい。最高裁判事がどのように法を適用し、判決を書いているかという、いわば司法の「奥の院」の思考プロセスが、ここまで書いていいのだろうかと心配になるほどセキララに描かれているのだから。

また、学者と裁判官の違いを論じた第四章もおもしろい。両方を経験した著者は、天皇陛下の質問に答えて「学者は、分からないことは分からないと言って判断を先送りすることができるし、また、分かっていないことを分かったと言ってはいけないが、裁判官は、本当には分からなくても、ともかく決めなければならず、判断を先送りすることができないのが、何よりも大きな違いである」という主旨のことを答えたという(p.149)。

これって、裁判だけではなく、まさに実務そのものである。最高裁判事となって初めて著者がこのことに気づいたというのも面白いが、この指摘は学問と実務の本質的な違いに斬り込んでいて、見逃せない。なぜって、われわれ自治体職員もまた、待ったなしの現実の中で「わからなくても決める」ことを求められている存在なのだから……。