自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1888冊目】ジャン=ルイ・ド・ランビュール『作家の仕事部屋』

 

作家の仕事部屋 (1979年)

作家の仕事部屋 (1979年)

 

 

一日に何時間書くか。どんな机で、どんなペン(あるいはタイプライター)を使って書くか。事前に構想を立てるか、あるいは一挙に書き始めるか……。

そんな具体的な方法が、どんな高度で抽象的な批評より、その作家の本質を言い当ててしまうことがある。その手の本は日本にもいろいろあるが、本書は1970年代のフランスでこれをやっていて、掲載されている作家や思想家のラインナップがものすごい。当時の流行作家など全然知らない人物に混じって、ロラン・バルトル・クレジオレヴィ=ストロースマンディアルグ、フランソワーズ・サガンといった豪華絢爛たる人々が、その「方法」をセキララに語っているのだ。

例えばロラン・バルトは、いろいろな筆記具を試したが、結局は昔ながらの万年筆に戻ってしまうという「万年筆を使えば、私の絶対に固執するあの柔らかい書体が得られる」(p.22)からである。だが、最近はタイプも練習していると、バルトは告白している。その理由がいかにもバルトっぽいのだが、それまでは自筆原稿をタイプしてもらっていたのだが、そうなるとエクリチュールはまさしく自由と欲望の領野に属するものなのに、タイピストというひとりの人間が、ある主人によって、ほとんど奴隷的といってもいいような仕事のなかに閉じこめられているように思えた」(p.23)というのである。タイプひとつにそこまで考えるのは、たぶんバルトくらいなものだ。

ル・クレジオの方法も興味深い。彼の執筆術は、大判の白い原稿用紙の表裏をびっしり埋めるように、冒頭から終わりまで、一気に書くというものだ(ちなみに筆記具はボールペン)。ほとんど抹消もしないというから驚きである。ただし、書く前の熟成にはじっくり時間をかける。『調書』の場合、初稿に3ヵ月、2稿に2ヵ月をかけたが、その前の一年間にわたっていろいろ考えていたという。

レヴィ=ストロースは、神話構造の分析にカードを使っているらしい。準備段階でストックしたカードをテーブルの上に広げ、いくつかの山に分けて配列を考える。「いくつかのテーマを結ぶ廊下や通路が目に見えて」くると、ようやく書物の全体構造が描き出されるという。「重要なのは、いかに微細なものであれ、ひとつでも細部を忘れてはならないということです」レヴィ=ストロースは語っている。「構造分析においてはすべてが意味作用を荷わされており、すべてを理解したのでなければなにも理解していないのと同じだからです」(p.170)

本書は細部がおもしろい。マンディアルグ「筆が進むのはパリとヴェネツィアだけ」だという。使うのは(白ではなく)緑かピンクの紙。どうしても書けない時には、ヴォルテールの短編を20頁ほど読むのだそうだ。一方、フランソワーズ・サガンは「どこででも書ける」という。『冷たい水のなかの太陽』はカシミールの奥地で、『心の青あざ』はパリとノルマンディーを往復する汽車のなかで、『悲しみよこんにちは』はソルボンヌの予備課程の教室で隠れて書いた。ところが、カフェでは書けないというから不思議である。その理由は「この地上にあって私をもっとも夢中にさせるものである人間」が周りにたくさんいるからなのだ。

ところで本書は、作家について知るために読むには良いと思うが、作家志望の人が「どうすれば偉大な作家になれるか」を知りたくて読むには向いていない。なぜなら、本書に登場する作家の「方法」は見事にバラバラだからである。1日10時間書きつづける人もいれば、2時間で終わりという人もいる。静かな環境でなければ書けない人も、音楽をかけないとダメな人もいるし、毎日決まった時間に書く人も、書いたり書かなかったり、という人もいる。つまり「こういうやり方をすれば…」というようなムシの良い話は、ここには転がっていないのだ。

むしろ、自分という人間をよく知り、それに合ったやり方を探しだせる人間だけが、偉大な作家の仲間入りを果たせる(かもしれない)ということなのかもしれない。自分の精神の働きを熟知しなければ、それがどのような水路から流れ出るものなのか、よくわからないだろうから。本書は40年ほど前のインタビューであり、小道具(ペンとかタイプライター)は今と全然違うけれども、その根本のところはおそらく変わっていないことと思われる。