自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1865冊目】ジェラルド・グローマー『瞽女うた』

 

瞽女うた (岩波新書)

瞽女うた (岩波新書)

 

 

現代になって失われた芸能や芸能者は数多い。本書が取り上げている「瞽女(ごぜ)」もそのひとつだ。

瞽女」とは、家々を巡り、歌をうたう盲目の女芸人だ。室町時代、女性の尊称である「御前(ごぜん、ごぜ)」に「盲(めくら)」をつけた「盲御前」と呼ばれていたのが、省略されて「ごぜ」と呼ばれるようになったという。もっとも、盲目の女性が芸能者として旅をするという図式は、それ以前からあったとされている。鎌倉時代の『西行物語絵巻』には、口を開けて歌っている様子の女性が描かれているらしい。

瞽女は大きく3種類に分かれるという。武家のお抱えとして召し抱えられた者、大きな都市で歌を披露する者、そして各地を経巡って歌を聴かせる者だ。大半の瞽女は、この第3のタイプであった。

とはいえ、視覚に障害があるにもかかわらず、芸を身につけ、旅を続けるのだから、その苦労は並大抵ではない。そこで形成されたのが、瞽女の職能集団だった。後世「長岡瞽女」「甲府瞽女」と呼ばれるグループは、そうして生まれたのである。それは瞽女たちの相互扶助組織であり、音曲を伝授する教育機関でもあった。

瞽女は社会の外側にあり、旅を続けるネットワーカーであった。江戸時代にもその生業は認められ、藩によってはその費用が公費で賄われたり、扶持制度として共同体レベルで支払いが確保されたという。一方、後に瞽女がもっとも盛んになった越後では、庄屋や名主、旧家などの裕福な家が瞽女を宿泊させて面倒をみた。こうした家は「瞽女宿」と呼ばれ、現在の新潟県東頸城郡中頸城郡西頸城郡には、なんと千軒以上の瞽女宿があったという。

大きな転機となったのは明治維新であった。瞽女への対応は地方によって異なり、府県によっては瞽女の活動を禁止したところもあった。乞食と共に徘徊禁止が言い渡されたり、免許鑑札制度が導入された。こうした動きの結果、西日本の大半に加え、山梨、埼玉、静岡など多くの地域で、瞽女の活動は抑え込まれていった。

一方、瞽女の禁止を言い渡さなかったのが新潟県だった。乞食や旅の物売りを禁じた条項にも「盲人ハ除ク」との一文を入れた。一方、瞽女たちも組織改革をはかり、少なくとも表向きは、近代的な職業支援組織であることを行政当局に示すようにした。高田瞽女や長岡瞽女が20世紀半ばに至るまで活動を続けられた背景には、こうした政府側・瞽女側両方の配慮と努力があったのである。

本書はこうした瞽女の歴史を概観するとともに、彼女らがどんな音曲を提供したかを、なんと五線譜入りで解説している。著者はアメリカに生まれ、本書執筆時点では山梨で音楽学・芸能史を教えているらしい。『瞽女瞽女唄の研究』『幕末のはやり唄』などの著書もあるバリバリの研究者。本書は、その研究の成果が濃縮された一冊である。