自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1872冊目】赤坂憲雄『境界の発生』

 

境界の発生 (講談社学術文庫)

境界の発生 (講談社学術文庫)

 

 

現代は「境界喪失の時代」である。ウチとソト、此岸と彼岸、生と死の境目は溶解し、かつては魔性のものたちが跳梁した、辻や橋のたもとのような境界的な場所は、今や「のっぺりと明るい均質感」に満たされている――

本書の冒頭で、著者はこのように指摘する。本書は、そのようにして失われつつある境界の意味をあらためて掘り起こし、再確認するための一冊だ。

境界といえばまず挙げられるのが、坂や橋といったロケーションである。そもそも「坂」は「境」に、「橋」は「端」に通じる。そこには境を守る神である橋姫や坂神が祀られ、乞食や遊行者などの社会のアウトサイダーが群れ集い、障害者や被差別民のコロニーが形成された。

興味深いのは、古代の市場や歌垣もまた、境界である「チマタ」につくられたということである。チマタとは「道-股」であり、共同体から外部へと通じる交通の起点であった。外部と内部をつなぎ、へだてる「境界」だからこそ、そこには交易のための場である「市」と、男女の性的な「交歓」の場である歌垣が設けられた。

さて、境界である坂や橋、チマタのような場所は、内外を隔てると同時に、外からの来訪者が通過してくる場でもある。こうした旅人の多くが携えているのが「杖」であった。遍路、行商人、僧・尼、乞食、そして琵琶法師のような芸能民も、杖を携えて移動する。著者はその「杖を携えた姿」にこそ、なんらかの境界性が刻印されていると指摘する。

そもそも、杖こそは内外をへだてる「動く境界」のシンボルなのだ。杖を地面に突き立てることは、土地の占有を示し、境界を画す呪的な行為であった。こうした役割を果たす杖は、しばしば樹木にも置き換えられた。地面に立てたり埋めたりした杖が樹木に変じるという逸話は、特に寺社の創建に関して多く見受けられるという。古代神話においては、国占め・国作りの神々や古代の王が、土地の占有表示として杖をたて、統治権の存在をあきらかにした。

こうした神々や王は、そもそもは杖をもって諸国を放浪する「流離の貴種」であった。彼らはマレビトとして外部からその土地にやってきて、そこに新たな境界を打ち立てる。境界-杖をめぐるきわめて本質的なルーツが、ここには示されているといえる。その点を端的に指摘した一文を引用して、本書の紹介を終えるとしよう。

「世界は不断に内部/外部に分かたれる。その視えざる運動の軌跡が境界である。境界はたえまなしに再認され、更新されなければならない。<流離の貴種>とはそれゆえ、その携える杖で始原の世界に仕切り線(境界)を引いて歩いた国占めの神々の末裔であるとともに、境界の聖なる更新者ないし調停者としての異人の象徴でもあった、といえる。それはいわば、境界そのものの聖性と不可侵性を保証し更新しつづけるための根拠の、人格化された表現であった」(p.223)