自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1799冊目】寺脇研『文部科学省』

文部科学省という一官庁ではあるが、国家公務員のリアルな「生態」を綴った一冊。

著者が意図してそう書いているかどうかはともかく、なるほど、国の役人の見ている「世界」とはこういうものかと思わせられる記述がいたるところにあって、結論から言えばなかなか面白い本だった。官庁内の雰囲気(文部科学省は「マルブン一家」と呼ばれるほど家庭的な雰囲気らしい)、族議員との関係、官庁からみた政権交代の様相など、外から見えているだけではうかがい知ることができないことが書かれている。

未だにこればっかりはなくならない、同期の誰かが事務次官になると他は一斉に退職するという「人事ルール」。これが何の疑問も呈されず、当然のように書かれているのが、やはりキャリア官僚の「感性」なのだろう。天下りの話がいろいろ出てくるが、どこをどういうふうにしようと、この「一斉退職ルール」をなんとかしないとどうにもならないと思うのだが……。地方だって民間だって、同期が副市長になろうが代表取締役になろうが、他の連中が全員辞めるなんてありえない(ですよね?)。

地方自治体に対する見方も興味深い。文部科学省でいえば、現場はまず学校、それも小中学校だ。ところが従来、文部官僚は小中学校となかなか接点が持てず、足場や「土地勘」を持ち難かった、という。小中学校の教員や校長として赴任するキャリア官僚が出てきているというが、これはなかなかよい傾向である。

教育政策については「大局的視点からの政策提案が文部科学省から出され、それを受けた教育現場が地域の実情に合わせて工夫を凝らしそれぞれの学校にふさわしい教育活動を行っていく」というのが「政策官庁としての文部科学省と小中高等学校現場との今後あるべき関係なのではないだろうか」(p.52-3)と書いているが、これに関連して気になったのは、教育委員会について。教育委員会廃止論について、著者は明確に反対されている。それはまあいいのだが、その理由が「政治的中立性の確保と中長期的視点」というのは、どうだろうか。

もちろん「政治的中立性」も「中長期的視点」も、とても大事なことである。だが、そもそも政治的中立性を言うなら、文部科学省自身はどうなのか。著者は国レベルでも政治的中立性を担保した教育委員会的制度を作ってはどうかと提案するが、それは、現状では政治的中立が十分に確保されていないと言っているに等しい。

現行の教育委員会制度は、首長の政治的影響力から教育行政を切り離す一方で、そこを文部科学省の「直轄地」のようにして、国レベルの政治的影響力を直接及ぼす制度になっている。それが「政治的中立性」であるとは、いったいどういう神経か。国と同じ方向を向いていれば「政治的中立」なのだろうか。もちろん著者は、だからこそ国レベルでも政治中立を担保するため「国家教育委員会」を提案しているのだが……。

「中長期的視点」についてはどうか。確かに中長期的視点は、教育にはもっとも重要な要素である。だが既存の政策の検証もろくにしないまま、猫の目のように教育政策をくるくると変え、そのたびに地方を振り回してきたのは、当の文部科学省ではないか。「ゆとり教育」でさんざん地方教育を振り回した御仁に、これを言う資格はあるのか。

著者は、文部科学省は「政策官庁」になったと誇らしげに書かれているが、中長期的視点を本当に大事にするなら、従来のような「事業メンテナンス官庁」でいてもらったほうがずっとよい。

なんだかケチばかりつけていて申し訳ないのだが、もうひとつ、この本を読んでいて気になることがあった。たしかに本書は、文部科学省という「役所」の内部からの視点を知るには絶好の一冊だ。だが、内部寄りの考え方をそのまま披歴するあまり、組織として対外的には通用しないような見解がちらほらと見られるのはいささか気になるところであった。

例えば、福島第一原発事故の際に文部科学省は、校舎・校庭の利用判断における放射線量の目安を年間20ミリシーベルトとしたことで、大きな批判を浴びた。著者はこれを、省庁再編で統合した科学技術庁系の立場による判断で決定されたものだという。もし省庁再編前だったら「科技庁の出す安全基準とは別に、子どもの健康に十分すぎるほど配慮した文部省の基準を出せたかもしれない」(p.238)というのである。

だが、こんなのは対外的にまったく通用しない論理である。内部の系統がどうであれ、年間20ミリシーベルトを発表したのは「文部科学省」なのだ。科技庁系の判断に問題があると判断するなら、きちんとそこを含めて省内で詰めた上で発表すればよいことである。それをやらなかった、あるいはできなかったのは、「科技庁」ではなく「文部科学省」であろう。

まあ、強引にまとめるとすれば、そのあたりも含めて文部科学省は「不思議の国」なのだ、ということになるだろうか。多少の省内見学やイベントの事例だけで、文部科学省が「親しまれるようになった」「良く知られるようになった」というのも、失礼ながらいささか滑稽である。

都道府県の教育委員会の課長に出向した程度で「地方の実情を学んだ」と言う官僚も笑止千万だ。都道府県の管理職の知っている「現場」など、果たしてどれほどのものか。それで「地方で現場を学んだ」とか言われてしまっては、最前線のホンモノの「現場」を抱えている方々に失礼ではないだろうか。まあ、このあたりは、市町村の教育委員会だって、学校の先生や事務の方に比べれば、到底現場を「知っている」とは言えないのであるが。

匿名でやっているということもあり、基本的にこの読書ノートでは「辛口」はセーブしているのだが、あ〜あ、やっぱり相手が国の官僚系だと、ついつい語調がキツくなってしまう。次回からはまた、マイルドなトーンに戻します。失礼をば。