【1525冊目】セネカ『生の短さについて』
- 作者: セネカ,大西英文
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/03/17
- メディア: 文庫
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昨日に引き続き、死を考え、生を考える本を読んだ。
だいぶ前に買ってはいたのだが、パラッと読んだ時に「自分のためにのみ時間を使え」というようなフレーズが目に入り、ムカッときてそのまま閉じてしまった。ちょうどトルストイの『人生論』を読んだばかりの頃だったので、自己愛を捨てて他者愛に生きよというロシアの文豪の教えのほうが、ずっと崇高なものに見えたのだろう。
だが今回、ちゃんと本腰を入れてセネカを読んでみたら、最初の印象と全然違うことが書いてあってショックだった。思い込みで積ん読にしてはいけない。
セネカは確かに、こんなふうに言っている。「人間的な過誤を超越した偉人の特性は、自分の時間が寸刻たりとも掠め取られるのを許さないことなのであり、どれほど短かろうと、自由になる時間を自分のために使うからこそ、彼らの生は誰の生よりも長いのである」(p.26)
ここだけ読むとタダのジコチューだが、たいせつなのは「自分のために」という言葉の意味だ。現代人の感覚では「自分のために時間を使う」というと、おカネを稼ぐとか、趣味に没頭するとか、せいぜいその程度の使い道しか思い浮かばない。しかしセネカは、そういう時間の使い方こそがもっとも無益で、もっとも人生を損すると言っているのである。
セネカが言う「自分のために」とは、自分の人間的陶冶ということであり、「徳」を高めるということなのだ。そして、そのために時間を使う人とは、実は「哲学者」のこと。「すべての人間の中で唯一、英知(哲学)のために時間を使う人こそが閑暇の人であり(真に)生きている人なのである」(p.48)。
それに比べれば、世間の名利を求めて右往左往したり、仕事のための多忙に時間を費やすような行為は、ただいたずらに限られた人生の時間を空費するだけである、とセネカは言う。「他人のために時間を使う」というのは、こうした仕事や世間の付き合いを意味するのであって、他者への奉仕や協力といったことではないのである(それこそが「自分のため」ということになろう)。
ちなみに、本書は名言・金言の宝庫である。ここでは自分の琴線にとくに強く触れたフレーズを少しだけ引用しておく。興味がおありなら、ぜひ本書にあたられたい。
「誰であれ、立派に死ぬ術を知らぬ者は拙く生きる」(p.107)
「幸福な生とはみずからの自然(の本性)に合致した生のことであり、その生を手に入れるには、精神が、第一に健全であり……」(p.139)
「富は、賢者にあっては所有者である賢者に隷属するが、愚者にあっては所有者である愚者を支配する」(p.190)
まあ、仕事もするな、遊びもダメ、ただひたすら哲学せよというのでは、さすがに現代社会での生活は成り立たない。だが常に死を見据え、そこから人生のあるべき姿を考えるというスタンスの徹底は素晴らしい。
メメント・モリ。死を想え。本書はまさに、死を想い、そこから生を構築しなおす一冊だ。