【1523冊目】いしいしんじ『ある一日』
- 作者: いしいしんじ
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/02
- メディア: 単行本
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五感を直撃する小説。中でも「味覚」「嗅覚」そして「痛覚」だ。綴られているのは、著者自身と思われる慎二の妻、園子の、陣痛から出産までの一日。
前半は、出産を予感しながらの準備時間。ここではまつたけやはもなどを「食べる」描写がなんとも真に迫ってくる。ふうわりとした香りから、にちゃにちゃとした肉感的な食覚(という言い方はあるのだろうか?)まで、ああ、食べるっていうのは自分の中にその食べ物が入り込み、溶け込むことなんだなあ、と体感レベルで納得する。
後半は一転して、壮絶な出産ドキュメント。とにかく痛みの描写がものすごい。極限かと思えた痛みが実は「まだまだ」であり、次から次へと、それまでを上回る痛みが襲ってくる。著者はその「段階」をご丁寧に描写レベルで重ね塗りしていて、自ら出産を経験できないオトコとしては、ウチの妻の出産のことを思い出しては、なんとも申し訳ない気持ちになってしまった。
そして、見事なのはなんといってもラスト。まあネタバレにはあたらないと思うので書いてしまうと、赤ん坊は無事に外に出てくるのだが、そこで味わう初乳には、昼に食べたはもやまつたけの香りが混ざっているのである。園子の体内に取り込まれた食べ物が、ぐるりと回って赤ん坊への初乳として出てくる。ああ、生命の循環。
慎二と園子の視点が入り混ざるようにして進む。出産間際、そこに胎児である「いきもの」の視点が加わるのがユニークだ。作者の想像といってしまえばそれまでだが、胎児の眼を通して、つかの間、底知れない生命の神秘がきらめく。う〜ん、深い。
「光の粒の動きがとまる。空間を、ふわりふわりと上下している。その真上から、空間全体を見わたしている「いきもの」は、自分がこの瞬間、なにをしなければならないか、波がせりあがるように理解した。何億何万の眼差しが、地上から、さっといっせいに「いきもの」をふりむく。「いきもの」は、無限のそのなかから、たったひとつの自分を選ばなければならない」(p.109〜110)
女性の、特に出産経験者の方は、この本をどんなふうに読み、どんなふうに感じられるのだろうか。ぜひ聞いてみたい気がする。そして、「生」のはじまりがこのようなものであるとするならば、「死」とはいったい、いかなるものであるのか。そこを今後、何冊かかけて、読みながら考えていきたい。