自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【848冊目】槙文彦編著『見えがくれする都市』

見えがくれする都市―江戸から東京へ (SD選書)

見えがくれする都市―江戸から東京へ (SD選書)

日本の都市の成り立ちや特質を論じた古典的な一冊。1980年の刊行というから30年前の本なのだが、論じられている内容の大筋は今でもほぼ通用するものがある。

特に、中心性をもつ西洋型の都市と比較して日本の都市を論じた「奥の思想」は、なかなか面白い。西洋の都市は(オギュスタン・ベルクが言うように、一概に論じられない面はあるだろうが、ひとつの典型として)街の中心に教会の尖塔のような明確な中心をもつ。著者によればそこは「世界軸の中心を示すことによって直ちに天を結ぶ垂直性の存在を強調」するものであり、いわばその一点をもって、都市は天という外部=thereとつながるのだ。

それに対して日本は「奥」すなわち奥行きを重視する「水平性」の文化である、と著者は言う。典型的なのが、教会の尖塔と対比される神社の「奥深さ」。多くは都市の辺縁にあり、ひと目を引くきらびやかな建物のかわりに、鬱蒼とした鎮守の森が神社を覆い隠している。そこにあるのは、西洋的な天とのつながりとはまったく別種の"there"だろう。塔があることはあっても(特に仏教の伝来によって、法隆寺五重塔のような多くの塔が建てられた)、それは西洋のように都市の中心となることはなく、あくまで寺院本体の「添え物」的な役割にとどまっている(そういえば、東京の中心も「東京タワー」ではなく、鬱蒼とした「皇居」の森である)。

そうした構造は個々の住宅にも見られる。西洋の家では、建物の外壁が直接道路に接しているのに対して、日本では建物本体と道路との間に「塀」を設けることが多い。古くからの屋敷町も、近代型の郊外住宅も、家本体の玄関が直接道路に面していることは稀である。たいていは、どんなに狭い家でも、塀や生垣があり、そこに開いた門扉からわずかにせよ「奥行き」と「ずらし」があって、やっと玄関があるのである。もっとも、京都に見られるような町屋風住宅や、下町にありがちな(路地に植木鉢を並べているような)裏長屋風の住宅など、いくつかの例外はあるが、そこでも何らかの形で「外」と「内」を隔てる、ある種のグレイゾーン的な緩衝地帯が置かれているものなのだそうだ。

他にも本書は、江戸時代(あるいはそれ以前)からほとんど変わらない升目状の道路構造、地形に街並みを合わせていくというまちづくりの作法など、歴史的、空間的両方の面から日本の都市を読み解くヒントに満ちている。ただ惜しむらくは、編著者を含め5人の書き手が分担執筆しているのだが、肝心の編著者の文章が一番読みにくい(私も人のことは言えないが)。「奥の思想」を論じた第5章など、上にも書いたように非常に面白くすぐれた着眼をみせているだけに、もうちょっと違った書きようがあったのではないか、と思ってしまった。