自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【844冊目】オギュスタン・ベルク『都市の日本』

都市の日本―所作から共同体へ

都市の日本―所作から共同体へ

これは名著。日本都市論なのだが、都市を通じて日本の風土(風土論は著者の十八番)を論じ、日本の社会や習慣をわれわれの予想もつかない方向から貫き、さらには西洋の都市のモダニズムと日本の都市に見られるポストモダニズム的な側面を論じ、「近代の超克」といった深いテーマにまで一気に突入する。

近代西洋で育まれたモダニズムは、著者の言い方になぞらえるなら「個人は独立しており、他者とは関係なく存在する」という思想ということになる。それに対してポストモダニズムは、個人は他者との関係において存在すると考える。従って、「見られている個人」は「見ている他人」との関係において存在する。そして、そうした様相が日本の都市には見られるという。ちなみに、「都市は同時に刻印であり母型である」というのが本書を貫く著者のテーゼ。したがって、都市を論ずることはそこに刻印された民族や社会や風土を姿見に映すことである。

たとえば、西洋の都市は城壁で区切られているのに対して、日本の都市は自然の山々で隔てられるのみ。したがって、西洋の都市では「郊外」は都市の外側に存在するのに対して、日本では「郊外」と都市はつながっている(言い換えれば、西洋的な意味での郊外は存在しない)。都市と自然は西洋でははっきりと区別されているが、日本ではむしろ一体的にとらえられている。また、西洋の都市は中心がしっかり存在している(広場や教会など)のに対して、日本の都市は中心が「ない」。東京と皇居の関係についてのロラン・バルトの指摘を待つまでもなく、「中心をはずす」のが日本の都市だという。

他にもたくさんあるが、このようにして自然と都市が相互関係の上に存在し、あるいは神話の時代と現代が一足飛びにつながっているのが日本という社会であり、風土であり、都市である。それを西洋の都市と比べることで、近代が行き詰っている袋小路のありようが見事に浮かび上がってくる。もちろん、日本の都市に対する分析や指摘も非常に面白く、うなずかされるばかり。たとえば、なぜ日本の都市では(コンクリートや鉄筋の家まで)西洋に比べ頻繁に建て替えるのか。なぜ「庭付き一戸建て」がもてはやされるのか。なぜ建物の外観が不ぞろいで、看板がごちゃごちゃと張り出しているのか。なぜ日本橋の上に高速道路を走らせるようなことになったのか・・・・・・。こうした疑問を日本人の本質論からつなげて知りたければ、このフランス人地理学者に尋ねるのが良さそうだ。