【721冊目】ヤーコブ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』
- 作者: ユクスキュル,クリサート,Jakob von Uexk¨ull,日高敏隆,羽田節子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/06/16
- メディア: 文庫
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これは名著。生物、特に動物から見た世界を描き、あるのは「唯一の世界」ではなく、その動物にとっての「環世界」である、と説く。
この「環世界」は、その動物がもつ「知覚」と「行動」によって枠づけられる。点と線からなる世界もあれば、聴覚や嗅覚でいろどられた世界もある。同じカシワの樹も、動物によって全く異なるとらえかたをされる。
量子力学的な「複数の宇宙」観、認知科学のアフォーダンス理論なども垣間見える、シンプルだけど非常に奥の深い本。まさに「世界観が変わる」こと請け合いの一冊である。
では、以下に内容を語り口調で要約。
生物、まあここでは動物に話を絞るけど、動物はね、「知覚」と「作用」によって客体とかかわるんだけど、そのことによって、それぞれの「環世界」にぴったりとはめこまれているんだ(序章)。どの動物も、知覚を通してみんな異なる環世界をもっている。すべての動物が同じ世界に存在している、なんて考えるのは幻想にすぎないのさ(1章)。
たとえば、視空間の限界は動物によって違っていて、どんな動物も、その限界で区切られたシャボン玉の中に生きている(2章)。時間にしたって、そいつが知覚できる最低限の時間単位、つまりは「瞬間」が一秒の何分の一なのかによって、時間の感じ方が変わってくる(3章)。それに、知覚の対象、つまり知覚標識が多ければ多いほど、その動物の環世界は複雑になるし、少なければ環世界も単純になる(4章)。知覚標識には形と運動が別々にあらわれることもあって、形がなく運動のみを知覚することだってある(5章)。
気をつけなきゃいかんのは、動物の知覚や行動は自然の「設計」によって支配されているのであって、「目的」によって支配されているのではないということだ(6章)。たとえば、動物の行動を触発する「作用トーン」をもつモノは、言ってみれば「地」に対する「図」のように知覚されやすくなるんだけど、こういう作用トーンの存在は自然の設計によるものだ、ってことだ(7章)。
「なじみの道」について考えてみよう。ある動物が普段通る道がどのように形成され、維持されているかを知ることは、その動物がみずからの「環世界」をどのように知覚し、把握しているかを知ることなんだ(8章)。「家」と「故郷」についても同じで、自分のテリトリーをどうやって線引きし、遠くに行ってもそこに戻ることができるかどうかは、その動物の環世界をとらえる上で重要なポイントだ(9章)。ちなみに、動物の中には仲間と共に行動するものもある。だいたいは家族だね。その場合、仲間の認識もその動物の環世界の一部になる(10章)。
次に、食べ物などの探索物を探す場合はどうか。動物は単に一定の知覚像を探すわけじゃない。むしろ、ある特定の作用トーン、この場合は探索トーンと言うべきだろうけど、コイツに対応する対象物を探す。こうした探索像は、単なる知覚像に優先することも多いんだ(11章)。
いいかな。動物には客観的な共通の「世界」があるワケじゃなく、自らがつくりあげ、自らの知覚物で埋め尽くした「環世界」があるだけなんだ。したがって環世界には、現実には「ない」ものが存在する場合もある。小さな子供が、カーテンの向こう側にオバケを想像するようにね(12章)。それに、ある主体が別の動物の環世界では客体であることもあれば、異なる環世界で、同じ客体が別々のトーンをもつこともめずらしくない(13章)。そして、環世界というのは、実はすべてばらばらに存在するわけじゃないんだ。その背後には、自然という大きな主体が隠れているんだよ(14章)