自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【285冊目】レイモン・クノー「文体練習」

バスの中で見かけた一人の若者。隣にいる乗客が押してくるとめそめそした口調で文句を言うが、席が空いたのを見てあわてて座る。2時間後、同じ男を別の場所で見かける。連れの男が、「君のコートには、もうひとつボタンをつけたほうがいいな」と言う。

原型になっているのは、たったこれだけの描写である。本書では、これを何と99通りにも言い換え、ひたすら羅列している。長さを変え、時制を変え、隠喩を駆使し、芝居の台本形式にし、ソネットにし、言葉を入れ替え、語り手を変え、嗅覚に訴え、味覚に訴え・・・・・・。とにかく唖然とするばかりの文章の変奏曲。圧巻としかいいようがない。

文体は置かれたシチュエーションによってかわる。仕事で書く報告書とラブレターを同じ調子で書く人はいない。しかし、われわれはどこまで意識して文章の「着替え」をできているだろうか。たとえば、この文章をせいぜい20通りに言い換えてください、といったら、果たしてどれほどのヴァリエーションが生まれるだろうか。自分で一度やってみれば、クノーの技法がどれほど卓越したものか、すぐ分かるだろう。

そして、特筆すべきがこの翻訳者の偉業というべき翻訳である。フランス語で99通りに言い換えた言葉を、さらに訳者は日本語に置き換えている。もちろん、言葉が違う以上そのまま日本語に変換することはできない。そこを訳者は「日本語でいえばどういう置き換えになるか」を考え、大胆に換骨奪胎し、結果として見事な日本語版の文体変奏曲を完成させている。特に「枕草子風」言い換えには爆笑。一本取られました。