【136冊目】中沢新一「熊から王へ カイエ・ソバージュⅡ」

- 作者: 中沢新一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/06/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「Ⅰ」が神話的思考そのものについて触れていたのに対し、こちらは神話的思考のもとに「クニ」をつくらず集住していた時代から、「王」が生まれ、「国」が形成されていくまでの流れを追っている。
まだ「国」が出現していない神話的な「対称性の思考」の時代には、人と自然がきちんと区別され、人は自然を畏れ敬い、必要なものだけを礼をつくして自然からいただくなど、人の文化と自然との間にははっきりと線が引かれていた。また、人々を束ねる首長は暴力的な権力で人々を支配していたのではなく、話し合いと理性のもとに治められ、暴力的装置たる「戦士」や呪術を通じて自然とつながる「シャーマン」などは、集団の辺縁におかれていた。そのありようは現代の「文化国家」などよりもよほど文化的であり、高度に知性的(神話的知性の意味で)であったと著者はいうが、まったくそのとおりだと思う。
ところがそのうち、「王」によって統治される「国」が発生し、人間の文化が自然を飲み込んでいく。自然は、「神」から人間に供せられた「道具」に堕し、その流れは今でも続いている。このような「非対称性の思考」は、自然を敬う対称性の思考の見方からすればまさに「野蛮」そのものであり、著者は、国家はその根本部分に野蛮さを組み込んだまま成立していると指摘する。
一般的には、国家以前の原始的な部族社会こそが野蛮であり、自然と一体化した生活を営んでいたのであり、国家の成立によってそれが洗練・高度化し、自然と分かたれたと考えるのが普通であろうが、著者はそれをすべて本書の中で転倒してみせる。その「支点」となっているのが、すでに書いた「対称性の思考」であり、神話的な知恵であるように思う。ちなみに、国家によって一度は消えたかに思われる「対称性の思考」が洗練された形で復活したのが、ゾロアスター、イエス、ブッダなどによる宗教の成立であるとされる。本書は、神話、国家、宗教という巨大なテーマをひとつのダイナミックな流れの中に位置づけた見事な絵巻を思わせる。