自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【127冊目】村上春樹「海辺のカフカ」

本書では、大きく2つの流れが交互に進んでいる。ひとつは、家出した15歳の「僕」が辿る道。もうひとつは、戦争中に起こった奇妙な事件と、その「体験者」である「ナカタさん」の辿る道である。

2つの流れは時に近寄ったり、遠ざかったりしながら、同じベクトルを向いて進む。最初はまったく関係ないように見えながら、次第に同じ方向性、同じ意味を帯び、2つの方向から照らされた光が、次第に物語全体を描き出し、世界に秘められた意味をあぶりだしていく。本書で描かれようとしているのは、個々の登場人物の造型とかストーリーの面白さというよりも(それもあるが)、ひとつの大きな図象というか、世界の配置図というべき何かであるように感じられた。コンステレーション、という言葉を思い出した。

本書でたびたび登場するフレーズは「世界はメタファーだ」というものである。この小説は(村上春樹の他の小説と同じく)豊穣で独創的なメタファーに満ちている。大切なことであればあるほど、メタファーで二重三重にくるまれ、巧みな比喩によって確保された距離感をもってのみ語られる。それは「本当に大切なことは語ることはできず、言葉にしてしまうとその意味は失われてしまう」という、言葉に対する謙抑性のあらわれであり、大切なものに安易に言葉をあててしまうことへの戒めであるような気がする。

われわれは、物事を直接的な言葉でそのままあらわそうとしすぎるのかもしれない(そして大切なものを見落とす)。ものごとを適切に語る(あるいは世界を描写する)には、適切なメタファーと柔軟な想像力をもってするしかないという場合は少なくないのだが、そうした才能(と謙虚さ)において村上春樹を超える小説家を私はよく知らない。

ほかにも本書には、「僕」や「星野青年」の成長譚としての側面や、「死者と生者」の物語としての側面、宿命と自由についての物語という側面など、さまざまな要素が複雑に絡まりあっている。それでいて決して重くなく、淡い後味を残して終わるところが、さすがの名人芸といえよう。