【118冊目】柳田国男「雪国の春」
- 作者: 柳田国男
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1985/10
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (1件) を見る
本書は、東北地方を舞台とした、柳田国男の比較的初期の論稿集である。
中核となっているのは、「豆手帖より」と題した一連の短文で、これは著者が東北地方を旅行しつつ、それぞれの地域での観察をまとめたものである。ちょうど大正期、文明開化や中央支配の影響を受けつつもいまだ残されている古くからの習俗や文化を丁寧に書き留めたものだが、書き留めるにあたっての選択眼と観察眼がさすがに非凡である。柳田国男の「眼」にかかると、何気ない人々の所作や風景、ちょっとした物具のしつらいなどから、たちまちその地方の「民俗」が匂ってくる。さらに、それらを単なる観察にとどめず、周囲の自然や他の習俗、歴史等と結びつける手並みも実にあざやかなもので、それによって、匂いたった「民俗」が今度は周囲とのかかわりの中で立体的に立ち上がってくるのである。
とりわけ東北地方は寒冷で雪が多く、山がちであるなど自然条件が厳しい地方である。そのことが、人々の生活や習慣、さらには気質に至るまでの多くを規定していることが良く分かる。また、地域に伝わる昔話や伝承も取り上げているが、その分析がまた面白い。とにかく、こういう見方もできるのかと思わせられる切り口の連続であった。
後半は東北文学をテーマにした論考で、「義経記」と「清悦物語」を扱っている。これも、物語の「語りのスタイル」や「語り手」に着目しつつ掘り下げたもので、単なる個別の文学論にとどまらず、「語りの文化」という側面を通した、民俗学の視点からの一級の物語論、文学論である。
さて、読み終わって思ったのだが、こうした民俗学の本は、さまざまな地方のさまざまな風習(奇習)、昔話、文化を紹介してくれており、トリヴィアルな情報源として十分に面白い。しかし、雑学を知っただけで終わってしまってはもったいない。柳田や折口のような民俗学者から真に学ぶべきことは、市井の人々の生活を丁寧に見る地に足の着いた観察眼であり、自分が見聞きしたものに対する自由自在かつ細密な発想と思考であろう。それこそが、柳田国男の方法論であり、民俗学からわれわれが学ぶ点なのだと思う。