【1702冊目】宮田登編『柳田国男対談集』
- 作者: 宮田登
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1992/11
- メディア: 文庫
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柳田国男9冊目。今度は対談集である。
さて、対談にこそ出る「顔」というものがある。
著作とは違う、他の人の言葉を受けてはじめて発する言葉というものがあるのである。本書はそういう意味で、練達の聞き手を前に柳田が発する「言葉」を味わい、圧倒的な「顔」を感じる一冊だ。
いろいろな対談相手が登場するが、どれも柳田の前にほとんどひれ伏しているようなのが、小気味よくもあり、対談としては物足りなくもある。十分に丁々発止をやっているのは、石田英一郎が司会をした折口信夫との対談と、あとはラストの桑原武夫くらいだろうか。
桑原の場合は他の対談と違い、柳田が聞き手といったスタンスで始まるが、バランスとしてはそれでようやくイーブンという感じだ。他の対談では(やはり折口相手のものを除いて)とにかく柳田が相手を呑み込んでしまうような迫力がある。そのバランス、その深さ、いずれも圧倒的だ。
では、今回は、それぞれの対談の中で、もっとも印象に残った部分を引用してみたい。なお引用箇所はいずれも柳田の発言である。
「文学と土俗の問題」(対談相手:青野季吉・佐藤信衛)
「実は小説と称するものの大部分は報告です。プロットがないし、第一、人を娯(たの)しませようというインテンションがないということは古くからの小説の約束に反するだろう」(p.22)
……これは小説観としておもしろい。いわゆる私小説のほとんどを、柳田はこの一節でバッサリ切り捨てている。
「民俗座談」(対談相手:谷川徹三・秋田雨雀・風巻景次郎・橋浦泰雄)
「フォークロアでは、どんなことでも知りたいのです。それが直ぐ役に立たなくても知りたいのです。エスノロジーの方は、大体人間の生きる道とか、物質文化の進むべき方向とか、大体目標を立てている。われわれはこういう乏しい材料の中ですから、仮に今はたずねておらなくても、注意すべきことがあればみな書いている。(略)われわれの方のは、分類してもどれにも入らないというようなもので忘れることのできないものがいくつもある。それを捨てないのです」(p.52)
……フォークロアとエスノロジーの比較論。民俗学の独自性の捉え方が参考になる。
「民間伝承について」(対談相手:浅野晃・橋浦泰雄)
「保守ということの悲しいことは、最近しか学べないことです。たとえば明治の初めの国粋保存主義なんかそうですね。もどるにはつい近い時にもどるしかない」(p.89)
……「悲しいこと」と和らげているが、痛烈。「保守」のご都合主義が透けて見える。このへんはこないだ読んだ『先祖の話』に通じる。
「文学・学問・政治」(対談相手:中野重治)
「気に入らないものは片っ端から封建的といって壊すことはやるけれども、封建なら封建で一つの秩序、システムが立ってる、ところが封建から今日まで七十年の間日本がだらしなくなって、それで困ってるんだ。どうしても地方の自治団体の生活力をもう少し強くしなければ駄目だと思いますね。あれも押え、これも押えで、府県なんかほとんど法人とはいえないし、町村だって一つの生活体とは考えられない。どうも中央集権が強すぎましたね。今日その反動でしょう」(p.137)
……柳田の地方分権論が出てきてびっくり。
「婚姻と家の問題」(対談相手:川島武宣)
「(女性が家庭内で圧迫されているという川島氏の発言に対し)私はそんなにひどくなかったろうと思いますね。女は圧迫されていたというけれど、昔の主婦は時によっては男を叱りとばす。下男でも出入りの者でも叱りとばすのです。そういう歴史を知らないで、女が屈辱ばかり受けていたようにいうのは困る(p.158)」
……マジメなのか茶化しているのかわからないが、どうもマジメっぽい。でもちょっと議論がずれているような気も)
「日本歴史閑談」(対談相手:家永三郎)
「いろいろな知識、仏教の知識、儒教の知識が入ってきたが、それ以前にも日本人が元来持っている日本人の考え方と名づくべきものがある。その日本人のものの見方、日本人の考える力を知るためには、我田に水を引くんでなしに、私はやはり学問と縁の薄い都会人や村落人を目標にしなければならない」(p.190)
……こういうところはいかにも柳田っぽいですな。
「日本人の神と霊魂の観念そのほか」(対談相手:折口信夫)
「私はマレビトなども外部信仰と呼んでいるものの顕著な現われとみている。そういう考え方もしただろうし、最も古い神様を祖先だと思っていない者も、現在からいえば70パーセントがそうでしょうが、そうなったのは中世以降の変化であって、以前はそうでなかった。現に今でも氏神は氏の神、すなわち先祖霊と思っているところは残っている。もとは自分のところの神様は自分のところへしか来ようのない神様だった(p.252-3)
……折口のマレビト論に柳田が触れた貴重な一節。
「民俗学から民族学へ」(対談相手:折口信夫)
「折口君の場合はわれわれの読み方とは違う。読むときに本を二重に読んでいる。ノートにとらないけれども二つの入口から本の内容が入っている。ぼくらはかえって抄録をするので、注意がやや片よるきらいがある。それを折口君はいっぺんよむと無意識に直覚と一致させている。ただ単純な暗記や保存でなく、自分の素質みたいなものに変えてしまう」(p.312)
……折口の読書法というところがおもしろい。
「日本人の道徳意識」(対談相手:桑原武夫)
「日本人にはかなり人の難儀を見過ごしていられないといった気持があったものですから、村のうちに親類のない子供が一人残ってもどうにか食えたので、苦労しても自殺するということはなかったが、明治の末ごろからの現象としてわれわれには耐えられないぐらい世間の無関心がひどくなった」(p.356-7)
……近代化と言って片づけられる問題かどうか。