自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2701冊目】アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』

 

新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン23冊目。ちなみに「100冊」に入っているのは新訳ですが、今回はなじみの深い福田恆存訳で再読しました(だから表紙も旧バージョン)。


多くの人が最初に触れるヘミングウェイの小説ではないでしょうか。私もずいぶん前(たぶん高校生の頃だったと思う)に手に取り、一気読みしたのを覚えています。


そのあまりにもカッコいい描写、強烈な文章に驚いて、あわてて他のヘミングウェイの作品、たしか『日はまた昇る』や『武器よさらば』あたりを読みましたが、どうもあまりピンと来ませんでした。どちらも『老人と海』に比べると冗長で、無駄が多く感じてしまったのですね。でも、これは最初に読んだ本が悪かった(というか、良すぎた)のだと、今だったらわかります。今回再読して改めて感じたのは、この本がもつ濃密で凝縮されたエネルギーは、他のいろんな小説と比べても図抜けている、ということでした。


老人が海に出て、何日もかけて巨大なマカジキを仕留めるが、帰る途中、血の匂いに惹かれたサメに獲物を食い尽くされてしまう。そんなシンプルなストーリーの中に、この老人の人生のすべてが入っています。漁師として暮らした長い年月、そこで培われた重厚な経験、老いと孤独をかこつ現在の日々。報われぬ結果を受け止め、ひとり小屋に帰る老人の姿には、一人の人間としての深い畏敬の念さえ覚えます。


思い出しました。私はこの本を読んで、遊びで釣りをするのをやめたのでした。この老人とマカジキとの真剣勝負に比べれば、私の釣りはいかにも魚の命を軽んじている、と感じたからです。ちなみに、釣りや狩りを「人間と動物の真剣勝負」みたいに言う人が時々いますが、私はそういう言いぶりが嫌いです。それもまた、次のような言葉が、胸の奥に刺さっていたためかもしれません。

 

「お前が魚を殺すのは、ただ生きるためでもなければ、食糧として売るためだけでもない、とかれは思う。お前は誇りをもってやつを殺したんだ。漁師だから殺したんじゃないか。お前は、やつが生きていたとき、いや、死んでからだって、それを愛していた。もしお前が愛しているなら、殺したって罪にはならないんだ。それとも、なおさら重い罪だろうか?」(p.121)


最後までお読みいただき、ありがとうございました!


【2700冊目】森見登美彦『太陽の塔』

 

新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン22冊目。


モリミーこと森見登美彦のデビュー作。男ばかりで固まって悶々とし、アホな計画にうつつを抜かしつつ、実は誰よりもナイーブで、失恋に傷つき、必死に自分を守ろうとする。そんな主人公らは、まるで過去の自分を見ているかのようです。


「男汁」あふれるこの作品には、だから女性はほとんど出てきません。主人公の元恋人の水尾さんもそうですし、「邪眼」の持ち主として最初の方で強烈に登場する植村嬢も、その後はほとんど出てきません。徹頭徹尾、これは煮え煮えで妄想にこじれまくった愚かな男たちのための物語なのです。


そんな中、奇妙で鮮烈な印象を残すのが、巨大な「太陽の塔」のイメージと、終わりの方で出てくる、夢の中、夜の京都を走る叡山電車のシーン。このあたりはむしろ近作の『夜行』につながる幻想的な場面として、忘れがたいものがあります。この作品がなんと「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞したのは、そんな幻想的な光景のためでしょうか。それとも、大学生男子の妄想的生態が、ある種のファンタジーであると評価されたためなのでしょうか。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!


【2699冊目】吉本ばなな『キッチン』

 


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン21冊目。


「わたしがこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」という書き出しから、一挙に引き込まれる。主人公のみかげの孤独が、一緒に暮らす雄一の孤独としずかに共鳴する、なんともせつない物語。雄一の母(以前は父)のえり子はトランスジェンダーだが、その存在が自然と受け止められているのも、いい。


続編の「満月」は、そのえり子が殺されたというショッキングな導入からはじまる。ここではなんといっても、仕事で行った旅先で美味しいカツ丼に出会い、タクシーを飛ばして雄一に届けるシーンが忘れがたい(というか、実はこの本は再読なんだが、このシーンしか覚えてなかった)。カツ丼、というのがいいじゃないですか。


若き日の著者のやわらかい感性が、そのまま文章の中に流れているのを感じる。最近の作品と比べてみるのもよさそうだ。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!


【2698冊目】知念実希人『天久鷹央の推理カルテ』

 


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン20冊目。


「泡」「人魂の原料」「不可視の胎児」「オーダーメイドの毒薬」が収められたメディカル・ミステリー短編集です。全体の印象をひとことで言えば、医療版シャーロック・ホームズ。それも、王道ど真ん中。


主人公の鷹央は、超人的な頭脳と膨大な知識がありながら超のつく変わり者で、人付き合いはお世辞にもうまいとは言えません。さすがにホームズと違ってヤク中ではありませんが、その代わり酒は底無し、食べるのはカレーと甘い物だけという超偏食。そして、姉の真鶴が大の苦手(とのことですが、この設定はあまり活きていません)。さらに、物語はワトソン役の小鳥遊(たかなし)の視点で語られますが、その役回りは、鷹央の推理についていけず、ひたすら振り回されるのみなのです。


短編メインのスピーディーな展開、鷹央がアクティブに動き回り、時には積極的に罠をかけたりするあたりもホームズっぽいですね。医学的な知識がベースなので、読者が謎解きに参加するのは難しく、むしろ展開を楽しむタイプの作品だと思います。オススメは、某有名ミステリを思わせつつ鮮やかに予想を裏切る「不可視の胎児」、ホームズばりの消去法推理が見事にハマる「オーダーメイドの毒薬」でしょうか。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!


【2697冊目】アルベール・カミュ『異邦人』




新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン19冊目。


大学生の頃、一度読みましたが、その時はなぜこれが文学史上に残る名作と言われるのか、あまりピンときませんでした。唐突な殺人に至る前半は退屈で、後半の法廷シーンも物足りなさを感じたのを覚えています。


今思えば、「不条理文学」という触れ込みが良くなかったのかもしれません。今回、20数年ぶりに再読して感じたのは、主人公ムルソーのもつ圧倒的なリアリティでした。そのリアリティの前では、周囲の人物,特に後半に登場する判事や検事、牧師のような人物はなんとも薄っぺらに思えるほどです。そして、そのリアリティを生み出しているのが、やはりのこと「太陽のせいで人を殺す」というムルソーの行動です。


ふつう、殺人に限らず、人間が行動するにはそれなりの「理由」が求められることが多いと思います。「なぜ仕事を辞めたの?」「なぜあの人と結婚したの?」「なぜお酒を飲んで車を運転したの?」といった「なぜ」で始まる質問は、そこに何らかの「答え」があることを前提としています。


でも、人間は実際のところ、そんなにひとつひとつの行動に「理由」があるものなんでしょうか。実際には、多くの行動が「なんとなく」「特に理由もなく」なされているように思います。周囲が理由を求めるから、わたしたちは後付けで理由をこさえているだけなのではないでしょうか。


ムルソーが(つまり、カミュが)衝いたのはその点でした。「太陽のせいで人を殺した」とは、ほとんど「何も理由がなく人を殺した」と同じことです(「太陽」は、まさに後付けの理由です)。それが実際は「本当のところ」なのです。でも、それは周囲の「みんな」が許さない。社会が許容しない。なぜなら、そんな人がいると不安になるからです。行動には理由がある、という暗黙の前提をゆるがすような発言は、許容してはいけないのです。「ムルソーの罪は父殺しより重い」といった趣旨のことを検察官が言いますが、それはまさにそういうことなのです。


だからムルソーは、社会にとっての「異邦人(エトランゼ)」にならざるを得なかった。いや、寄ってたかって、そうさせられてしまったのです。「母の死に際して泣かなかった」ことと「太陽のせいで人を殺した」ことが、法廷では結びつけて語られます。それは、「社会の常識や慣習を逸脱した」という罪なのです。そして、そうした罪こそがもっとも恐れられ、厳罰に処せられる(ムルソーは斬首刑になります)。それはいわば、この社会の異邦人であることの罪なのです。そのことを、カミュはおそらくはじめて明らかにしたのです。だからこそ、この小説は歴史に残る名作なのだと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!