自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2386冊目】しりあがり寿『あの日からのマンガ』

 

あの日からのマンガ (ビームコミックス)

あの日からのマンガ (ビームコミックス)

 

 

あの日。すべてが変わったと思い、日常を日常として送ることに、欺瞞と戸惑いと罪悪感を覚えていた、あの日からの日々。

ぐらりと地面が揺れるたびに不安に思い、余震であったことがわかるとなぜか安心する奇妙な感覚。放射能という目に見えないものに怯え、報道される数値に一喜一憂した日々。今や忘れていたそんな感覚を、この本は見事なまでのライブ感で思い出させてくれる。なぜといって、本書のメインは震災前から朝日新聞夕刊に連載されていた「地球防衛家のヒトビト」。まさに震災後、リアルタイムで描かれていたマンガなのだ。

4コマ以外の短編マンガも、震災後の日々の中で描かれたものばかりなのだが、これが素晴らしく叙情的。特に、震災から50年後を描いた「海辺の村」の、森の中に林立する風力発電機に囲まれた福島第一原発と、その上を飛ぶ羽の生えた子供達を描いた見開きページは忘れられない。ラストの「そらとみず」も傑作。海に沈んだ瓦礫、そこから生えてくる蓮のような植物と、その上でほほえむ子供達の姿を見ると、何かすべてが浄化されるような感覚に満たされる。

今の日本は、震災を「なかったこと」にし、「何も変わらなかった」ことにして、その上に未来の国と社会を作ろうとしているように見える。だが本当は、私たちはずっと「あの日から」の日々を生きているのである。そのことを私たちはいつか、痛烈な教訓とともに思い出すことになるだろう。せめてこのマンガを読んで、自分たちが本当はどんな「今」を生きているのか、思い出すようにしたほうがよい。

【2385冊目】ビョルン・ベルゲ『世界から消えた50の国』

 

世界から消えた50の国 1840-1975年

世界から消えた50の国 1840-1975年

 

 

驚くべき本である。本書で取り上げられているのは、すべて「今は存在しない」国ばかり(厳密には「国」とはいえないものも含まれるが)。だが、失われた国の歴史や文化をたどることで、近現代史そのものがリアルに浮かび上がってくる。

面白いのは「切手」に着目しているところ。切手が発行されるということは、その地域で郵便が配達されるということであり、ある程度の社会的インフラが整っていることを意味する。さらに、切手の中には加刷といって、他の国や地域で使われているものの上に国名などの文字を印刷して用いているものもある。また、絵柄もその国や地域の独自性を感じさせるものもあれば、その国を事実上支配する国の人物(多いのはイギリス)のヴィクトリア女王など)が描かれているものもある。また、イスラム系の国では、人物の肖像を描くことができず、そうしたところからその国の宗教や習慣を推し量ることもできるのだ。

それにしても、今は存在しない国とはどんなものなのか、なかなか想像しづらいものがあるだろう。そのため、本書のイメージをつかむため、以下に10ほどの国・地域をピックアップしてみよう。有名無名とりまぜて、順序は本書の登場順(だいたいの年代順)による。興味を惹かれたら、残りの40国・地域についても、ぜひ本書にあたっていただきたい。

 

◆ヴァン・ディーメンズ・ランド(1803-1856)

 オーストラリアの南に浮かぶこの島は、イギリス最大の囚人流刑地だった。1822年の時点で、人口12,000人の60パーセントが囚人だったという。島全体が管理されていたが、入植者の家で刑期を務める者にはある程度の自由も認められ、彼らはその時間をカンガルー狩りにあてた。問題は、島にもともと住んでいた数千人のアボリジニにとって、カンガルーは貴重な食糧であり、生活に欠かせない動物だったことだ。カンガルーを絶滅に追いやろうとする白人たちを攻撃したアボリジニに待っていたのは、輪をかけた虐殺と強制収容所への収容だった。1856年、この島はタスマニアと改名され、1901年にはオーストラリアの統治下に置かれた。島で最後のアボリジニが死去したのはそれより前の1876年であったという。

 

◆ボパール(1818-1949)

 キプリングが『ジャングル・ブック』の舞台に選び、後には史上最悪の産業災害と言われるユニオンカーバイド社の毒ガス漏洩事故があったボパールは、かつて独立した君主国だったが、後にイギリス東インド会社と提携し藩王国となった。珍しいことに、初代から4代までの統治者はすべて女性であった。1876年に初めて作られた切手は王女の指輪のダイヤモンドをモチーフにした八角形という、これまた珍しいものだった。イスラム教徒が多くを占めたが、第3代女王カイフスラウは選挙を実施して立法議会を設立する一方、ヒンドゥー教徒を重要な職に就けるという開明ぶりをみせた。皮肉なことにボパールの自治が失われたのは、イギリスが手を引き、インド連邦の一部に併合されたためであったという。

 

◆セダン(1888-1890)

 パリの伊達男と呼ばれ、横領の罪で追われていたシャルル=マリー・ダヴィッド・ド・マイレナの一行は、仏領インドシナのど真ん中で村を接収し、部族長を抱き込んで独立王国を樹立し、自らはマリー一世として即位した。国家運営の資金を集めるため香港を経てヨーロッパを歴訪したが、マリー一世という肩書きはほとんど関心を集めず、かえってフランス政府から訴追されそうになった。あわてて帰国の途についたド・マイレナは、途中で立ち寄ったイギリス領ティオマン島コブラに噛まれ、あっけなく死んだ。セダンはフランスによってその痕跡を抹消され、切手以外にその存在を伝えるものはない。今はベトナムの一部となり、ベトナム戦争では大きな被害を受けたという。

 

◆ティエラデルフエゴ(1891)

 南アメリカ大陸南端のティエラデルフエゴの群島にユリウス・ポッパーなる人物が現れたのは、1886年のことであった。アルゼンチンから金の採掘権を認められたポッパーはたちまち「シャンパンとキャビアが大好物のプレイボーイ」として知られるようになったが、問題は100人規模の私設軍をつくり、盗人や無断採掘者、さらには先住民を攻撃するようになったことだ。インディオ1人にウイスキー1本か英貨1ポンド。条件は両手か両耳を切り取って持ってくること(後に「首」に変更)。こうして登場したポッパー帝国は、当のポッパーが毒殺されたことであっけなく瓦解。ティエラデルフエゴはアルゼンチンとチリに分割された。

 

◆ヘジャズ(1916-1925)

 アラビア半島の西側、紅海に沿って南北に延びるヘジャズは、メッカやメディナをその中に含む中東の要衝である。オスマントルコの支配権が及ぶこの地で、イギリスの肝いりでアラブ人による反乱が画策され、ここで登場したのがアラビアのロレンスことトマス・エドワード・ロレンスだった。しかしイギリスはアラブ人との約束を破ってこの地を委託統治領とし、その中でも独立した王国としての体裁を維持したヘジャズは、隣国ネジド・スルタン国の軍勢によって占領されネジド・ヘジャズ王国となり、1932年にはサウジアラビア王国と名乗るようになったのだ。

 

極東共和国(1920-1922)

 ロシアの東側、オホーツク海に面した極東の地に突如出現した「極東共和国」。自由選挙と普通選挙権の実現を宣言した、理想に燃える独立国家の正体は、実はモスクワのボリシェヴィキによる演出であった。ロシア革命直後のこの時期、皇帝派の白軍が日本軍と結んで太平洋沿岸部に展開していたため、ボリシェヴィキはいわば緩衝国として極東共和国をつくったのだ。350万人の国民を抱え、キリル文字をあしらった切手を発行するまでに至ったこの「独立国」は、白軍の壊滅によって用済みとなり、1922年、レーニンの提案に基づいてあっけなく消滅した。

 

◆カルナロ/フィウメ(1919-1924)

 イタリアと後のユーゴスラヴィアの間にはさまった自由都市フィウメをイタリア側に統一しようと動いたのは、モンテネヴォーゾ公爵、またの名をダンヌンツィオという高名な詩人であった。2600名の熱烈な民族主義者を引き連れてフィウメに入城したダンヌンツィオは、15か月にわたり都市を占拠、イタリアにフィウメ併合の承認を求めたが聞き入れられず、ついに自らカルナロ・イタリア執政府の樹立を宣言。自らを「ドゥーチェ」(指導者)と位置づけ、黒シャツ隊(国家安全義勇軍)を導入、統制されたパレードやバルコニーでの派手な演説を行った。これらは後にムッソリーニがダンヌンツィオの後を引き継いだ際に導入、ファシズムの基本衣装となった。一方、フィウメは後に分割され、大半がイタリア領になったが、大戦後はユーゴの占領下に移行、リエカと改名された。現在はクロアチアの一部になっている。

 

満州国(1932-1945)

 本書に登場する日本絡みの「国」は、この満州国琉球(面白いことに大戦後から沖縄返還までのアメリカ占領期間が扱われている)のみ。中でも満州国は、ラスト・エンペラー溥儀をトップに戴いた典型的な傀儡政権であった。だが、著者が着目するのはむしろ、ここで行われた陰惨な人体実験。石井四郎中将のもと、満州731部隊が行ったのは「脳と腸の除去及び改造、馬の血の注入、ガス室や圧力室、遠心機での実験」「炭疽菌チフス赤痢コレラ、伝染性のバクテリア」を用いた感染性生体物質の実験など。中国人とロシア人の一般市民1万人以上が命を奪われた。さらに病原体に汚染されたハエを中国の都市上空で放出する、パラチフス入り饅頭を飢饉にあえぐ南京周辺にわざと放置する等の行為も含めると、犠牲者は百万人を越えると著者は書く。戦後、石井中将らは戦犯免責となり、多くはアメリカの生物兵器開発研究に加わった。その「成果」が披露されたのが、かのベトナム戦争であったのだ。

 

◆タンジール国際管理地区(1923-1956)

 モロッコの北端、ジブラルタル海峡近くの要衝タンジールは国際管理地区として完全な非武装地帯とされた。同時に行われたのがほとんどいっさいの規制の撤廃であり、その結果タンジールは、欲望と背徳が渦巻く「近代のソドム」となった。密輸、マネーロンダリング、武器取引、売春、ありとあらゆる犯罪の巣窟となったタンジールは、同時に自由を求めるビート族やヒッピーの楽園ともなった。ポール・ボウルズトルーマン・カポーティテネシー・ウィリアムズアレン・ギンズバーグウィリアム・バロウズらの文学は、タンジールの自由と退廃なくして生まれなかったろう。1956年のモロッコ復帰に伴い、そのすべてに突然幕が下りたのだった。

 

◆アッパーヤファ(1800-1967)

 アラビア半島の山あいにあるロンドンくらいの広さのアッパーヤファは、1800年頃から長きにわたり、スルタンによって治められた独立国家だった。1903年、近隣のアデンを植民地化したイギリスと相互防衛条約を締結したアッパーヤファは、アデン保護領の一部となりながらもほとんどヨーロッパ人が訪れない暮らしを1960年代まで続けた。だがエジプトのナセルがイギリス側を撃退、1967年には植民地軍の反乱でイギリスが撤退を余儀なくされると、親英的な君主はすべて引きずりおろされ、スルタンも暗殺された。最終的にはイエメンと統合、消滅。実はその前に、中東で最初で最後のマルクス主義国家「イエメン民主人民共和国」が出現していたことはあまり知られていない。

 

【2384冊目】太宰治『晩年』

 

晩年 (新潮文庫)

晩年 (新潮文庫)

 

 

太宰治が最初に刊行した小説集。そのタイトルが「晩年」というところが、なんとも人を食っている。さらに、冒頭の「葉」がヴェルレーヌの引用で始まり、太宰自身の最初の一文が「死のうと思っていた」なのだから、まあなんというか、太宰はまさに最初から太宰だったのだ。もっとも、実際に最初に書かれた作品は「葉」の次にある「思い出」。てらいなく自身の子供時代を綴った好短編である。

全体的な印象としては、なかなか入り込めない作品が多かった。とっかかりが乏しいというか、これは読む側の問題もあると思うが、散漫になりがちな意識をぐいぐい惹きつける、たとえば「人間失格」や「斜陽」、あるいは晩年の短編集のような迫力があまりない。読み手の方でかなり配慮しないと読みきれないような印象の作品が多かったように思う。

なかでちょっと面白かったのは、幻想的な変異譚の秀作「魚服記」、主人公の名前が『人間失格』の主人公と同じ大庭葉蔵で、作者自身がちらちら登場してコメントを述べるメタフィクションじみた「道化の華」(自身の心中未遂事件を扱っている)、短いがどこかぞわりと怖い異様な感覚の「玩具」あたりだろうか。著者は「遺書のつもり」で本書を出したというが、ここで「遺書」を存分に書ききれなかった残念が、のちの傑作群の創造につながっているのかもしれない。

【2383冊目】ジョージ・フリードマン『新・100年予測 ヨーロッパ炎上』

 

 

著者は地政学のエキスパートで、民間のインテリジェンス企業「ストラスフォー」を創設、「影のCIA」と呼ばれる人物。その精緻な分析と大胆な考察に圧倒される一冊だ。

本書のテーマは「ヨーロッパ」である。日本にとってヨーロッパは、先進的で理性的なイメージがあり、明治以降、一貫して目標としてきた地域であった。だが、本書を読むと、ヨーロッパに対する見方がガラリと変わる。なにしろ著者の原点となっているのは、ヒトラースターリンから追われ続けたハンガリーユダヤ人の両親のもとに生まれ、共にアメリカに逃げた幼少期の経験である。両親は「ヨーロッパ人の心の中には恐ろしく邪悪なものがある」と確信していたという。

「その邪悪なものは普段は隠れていて見えないが、状況によって外に現れる。アメリカにいると、物事は様々な取り決め、決断によって進んでいくように感じられる。しかし、ヨーロッパでは事情が違う。ヨーロッパではどこかで何かが取り決められたり、決定されたりしても、それだけでは何の意味も持たない。ヨーロッパでは、どこかである時、ひとりでに歴史の雪崩が起き、その雪崩に誰も彼もが押し流されるのだ」(p.17-18)

 

 

とはいえ、むろんこの「邪悪なもの」とは、ヨーロッパ人自体を差別して言っているのではない。むしろヨーロッパの置かれた地理的条件や辿ってきた歴史が、そうした状況を形作ってきたのである。例えばドイツがヒトラーを生み出したのは、フランスとロシアに挟まれていたこと、近代まで分裂状態であり統一国家が形成されなかったことなどが複雑に絡み合って影響している。2008年にロシアがジョージアグルジア)に侵攻したのも、イギリスがEU離脱を決めたのも、別にプーチンが悪いとか、キャメロン首相やメイ首相が愚かなわけではなく、それなりの地政学的必然があって起こったことだ。だから著者のようにそれを読み解く術を持つ者にとっては、「予測」が可能なのである。

したがって、戦争についても、戦争の悲惨さを語り継いだり平和運動をすることが抑止になるというような甘っちょろい考えはありえない。著者は言う。

「人間が戦争をするのは、愚かだからでも、過去に学んでいないからでもない。戦争がいかに悲惨なものかは誰もが知っており、したいと望む人間はいない。戦争をするのはその必要に迫られるからだ。戦争をするよう現実に強制されるのである」(p.492-493)

 

 

身もふたもないといえばそれまでだが、日本が本当に「平和教育」をしたいのであれば、本当はこのリアリズムから出発しなければならない。まずは、過去に戦争が起きた時の事例を取り上げ、「何が(どのような地政学的状況が)戦争を現実に強制したか」を、日本も含め、複数調べて比較してみてはどうだろうか。そうすれば、現実に防げるかどうかはともかく、新聞やニュースから戦争の萌芽を感じ取れるようになる可能性はある。

ちなみに、現在のヨーロッパで著者が一番危機感を持っていると思われるのが、EUの解体だ。ギリシャ危機や難民問題、イギリスの離脱をめぐる動向などに、その予兆はすでに現れている。EUの誕生から今まで、少なくともヨーロッパ内部で戦争は起きていない。EUがある程度の抑止力になっていたとすれば、その蓋が外れてしまったら、またもやヨーロッパが戦火に巻き込まれる可能性は少なくない。バルト三国コーカサスバルカン半島など、火種はあちこちに転がっている。

【2382冊目】アーサー・ビナード『出世ミミズ』

 

出世ミミズ (集英社文庫(日本))

出世ミミズ (集英社文庫(日本))

 

 

インスタグラムからの転載。

アメリカ人が日本語で書いた、というところに目が行きやすいが、そういう読み方だけではもったいない。そもそもエッセイとして抜群に面白い。絶妙な導入からクスリと笑える「オチ」まで、まさにエッセイの見本というべきものばかり。とはいえ、その中で指摘される日本語の面白さやアメリカ人だからこそ感じる文化ギャップの指摘は、やはりこの著者の持ち味というべきだろう。

たとえば「晴れ着の意味」というエッセイでは、晴れ着があるなら雨の日に着る「雨着」もあるはずだ、という勘違いから始まり、特別な時に着る服を自分の家族は飛行機に乗る時着ていたという意外な話に転換、さらに最近母から聞いたという飛行機搭乗口でのエピソードから「こんなに厳しいセキュリティチェックでは、birthday suitで通るしかない」となる(birthday suitは誕生日=生まれた日に着ていた服、つまり裸)。そして締めは「そこまで徹底するなら、せめて搭乗前に毛布を貸してもらいたい」

日本語に関する勘違いエピソードがあり、それにまつわる面白い余談があり、birthday suitが裸のことを意味するというウンチクがあり、この作品ではオチはあまり面白くないが、セキュリティ過剰な空港への皮肉も仕込んである。うまいエッセイというのは、こういうものを言うのだろう。

ちなみに著者は、日本語学校より「短歌と謡曲」で日本語を覚えたという。そのへんの日本人を圧倒するボキャブラリーと文章力、サービス精神に富んだ話芸の妙(これは落語の影響が大きそうだ)がミックスした、読んで納得のエッセイ集である。