【2277冊目】向田邦子『無名仮名人名簿』

 

新装版 無名仮名人名簿 (文春文庫)

新装版 無名仮名人名簿 (文春文庫)

 

 

うまいなあ、と素直に感じる。読みやすく、ウィットとユーモアが効いていて、視線はあくまでも庶民的で温かく、それでいてどこか突き放した冷静さもある。『夜中の薔薇』『父の詫び状』に続いて向田邦子のエッセイは3冊めだが、ここに至っても、どれ一つとして嫌味なもの、破綻したもの、不快なものがない。

今回特に感じたのは、バランスの良さだ。自分の感情や思いをさらけ出しつつも、どこかでスッと線を引いているというか、そんな自分を冷静に観察しているもうひとりの向田邦子がいる。だから、恨みつらみのある相手であろうと笑い飛ばすように書けるし、不愉快な思いをしたエピソードも、その「感じ」は伝えつつ、読者には嫌な思いをさせないように書けるのだ。

人の類型というか、今で言えば「あるある」的なものを捉えるのもうまい。例えば「パセリ」というエッセイでは、付け合わせのパセリを食べようとすると止める人がいる、というところから始まり、そういう人はさざえのつぼ焼きでも中の汁をすすらない、ネクタイも渋くて凝ったものをわざとはずしてゆるく結ぶ、背広も地方の有名な人に作らせた「うぐいす色に七色とんがらしをぶちまけたような手織のホームスパン」、名刺はこれこれ、結婚式のあいさつはこうこう、と畳みかけるように並べてくる。具体的すぎてかえって笑ってしまうのだが、それでもどこかに、こういう「パセリな人」のイメージが浮かんでくるのである。

世代的には昭和ど真ん中であり、「一億総中流」なんて言葉がリアルタイムなものとして出てきたり、幼い頃の戦争の記憶がするりと出てきたりもするのだが、それでも感覚が古びていないのに驚かされる。よく時事ネタを扱うエッセイストなどが、後から読んだらわからなくなってしまうんじゃないかと心配されているのを読むことがあるが、そういう人は向田邦子のエッセイをしっかり読まれると良いと思うのだ。一方、著者の生年が1929年というのを見ると、ふと思ってしまうのである。もし今も向田邦子が存命であったら(89歳かな?)、今の世相や社会をどんなふうに観察し、綴るのだろうか。平成も終わろうとしている今の世の中もまた、昭和の時代と同じようなせつなさとおかしみに満ちているだろうか?