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自治体職員の読書ノート

仕事は福祉系。読書は雑食性。業務連絡はnsa59871atmarkexcite.co.jpへどうぞ。

【1922冊目】ダニエル・T・マックス『眠れない一族』

 

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

 

 

本書の「主人公」は、異常増殖する悪性タンパク質、プリオンである。その名前を聞いて多くの人が思い出すのは、米国産牛肉が市場から消え、大騒ぎになった狂牛病パニックだろう。本書にもその顛末は登場するが、プリオンにまつわる問題はそれだけではない。

そもそもタイトルの「眠れない一族」とは、先祖代々にわたり「致死性家族性不眠症(FFI)に苦しめられてきた、ヴェネツィアのさる高貴な一族をいう。これを発症すると、異常な発汗、身体の過活動状態、そして睡眠が奪われ、やがて死に至る。この異様な疾患の原因となっていたのが、異常タンパク質プリオンだったのである。

だいたい、プリオンという存在自体が、それまでの生命科学の常識を破壊するものだった。タンパク質は身体の基本成分ではあるが、遺伝情報によって作りだされ、役目が終われば廃棄される「自然界のロボット」と考えられてきた。ところがプリオンは生命体ではないにもかかわらず、バクテリアやウイルスのように感染性があり、自己増殖する。プリオンは「生命」と「非生命」の境界をゆるがす存在なのである。

しかも、これが人体に入り込んだプロセスが、また驚くべきものなのだ。詳細は説明が長くなるので省略するが、かつてヒトはヒトを食べていた、というのが、要するに本書の結論なのである! イギリス人で言えば、多くの人々は狂牛病に対してある程度の抵抗力をもっている。しかしそれは、狂牛病への抵抗力の弱い人々が、食人によるプリオン感染で淘汰されたためだというのである。そのため、イギリスで狂牛病が大流行した時、人間の犠牲者が比較的少なかったというのだ(ちなみに、日本人はこの抵抗力が弱い人が多いらしい)。

さらに、食人がのちにタブーとなったのも、プリオン病の感染を避けるという理由があったのかもしれない、というのだから、人類はある意味でプリオンに感謝しなければならないのかもしれない。プリオンがなかったら、今でもヒトはヒトを食っていた可能性があるのだから。

ちなみに「プリオン」という名称は、スタンリー・プルジナーという人が名づけたらしい。「「クォーク」のように単純でインパクトのある言葉を」と助言されたのだそうだ。一方、イギリスの農漁食糧庁は、牛のプリオン病に「ボウヴァイン・スポンジフォーム・エンセファロパシー」(牛海綿状脳症)と命名した。「同省は、できるだけ早くこの用語が忘れ去られることを望んでいたのだ」と、著者は皮肉っている。

だが、こうしたイギリス政府の後ろ向きの対応が、狂牛病の被害を致命的なまでに拡大させたのである。それは後のアメリカでも同様だ。本書の後半部分は、日本も無縁ではなかったこの「狂牛病騒動」の舞台裏を明らかにするものとなっている。単なる読み物としてだけではなく、後世に伝えるべきパンデミック・ノンフィクションとしても読まれるべき一冊である。その上、面白いし。